■2004年3月31日

先日、笠井さんと木造軸組みの架構と設計という講演にいってきた。はじめは数字的なことばかりの話かなと思っていたのだけど、講演の後の山辺さんに質問すると、施工の納まりや大工の細工の要所をおさえている。いままで、数字にはでていないが大工の継ぎ手で追掛大栓が倍率5.0で鎌継が2.0など込栓にしてもいろいろな木材でいろいろな大きさで試験をしている。まさに僕たちが気にしているところだ。埼玉県で大工さんらと今の時代にどのような仕事をしていくかを考える大工塾をしているらしい。今度、試験などするときは連絡をくれるので、是非実際に体験したいと思う。

miya(宮田育典)

■2004年3月30日

honさんと入れ違いに月、火と車で神戸、大阪へ。ナビの設定が悪かったのかもしれないけれど、目的の建物は見えているのに、あと10kmもかかる道を行けと言う・・・。おかしいと思って入れ直すとこんどは目的地まで40km・・・。なんで? いくら幹線道路優先にしていてもおかしいですよねぇ。
芦屋の松浜町というところにある『びーどろ』というお店。芦屋川沿いの住宅地にあって、古いお家の一室をお店にしていて、器などを置いているんだけれど、ステンドグラスとか、ぬり壁の模様とか、飼っている犬やねこまでいい感じでした。もと和室だった部屋もお店にしている応接間や廊下と同じ板張りの洋館風に直していたり、トイレのドアもはずして手洗いと1室にしていたり、壁をぬいて入れたという古いステンドグラスや照明もいいし、お話を伺っているとやっぱりご主人も奥様もあちこち手を入れるのを楽しんでいる様子でした。

yuu(笠井祐子)

■2004年3月29日

昨日の日曜日、福祉住環境関連の会議と懇親会があり、神戸に出張・・・。会議も懇親会も終わり、余裕を持って三宮のバス乗り場で最終の高速バスを待つが、待てど暮らせどバスが来ない。「おかしいな、ここが始発のはずなのに・・・」と周りを見回すと、30mほど先を走っていくバスの姿が目にとまった。あれは?徳島行きのバスじゃないか?慌てて走ったもののもう後の祭りである。持ち合わせも少なく、関係者のご厚意がなければ一晩のホームレスになるところだったことを考えると、沸々と怒りがこみ上げてくる。梅田でもそうなのだが、会社毎に乗降場が違うのは何とかならないのだろうか。徳島駅の発車は同じ場所であることからも、不可能な話ではないように思う。これを家に帰って話すと、私の母もかつて三宮で同じような目にあったらしい。会社同士のサービスはもっと他の部分で差別化できるはずだ。ビデオテープのVHS方式vsβ方式の争いに似たような、消費者のニーズを無視した出来事はあらゆる場所に転がっているようだ。

hon(本田圭一)

■2004年3月27日

ついこの前までヨチヨチ歩きをしていた長男が、早いもので今春大学生である。kitaさんの日誌にもあったが、まさに光陰矢のごとしである。歳を取るはずである。その割に俺って成長してないなぁσ(^◇^;) とつくづく思う。3月も最後になって入学校を決めた長男は、バタバタと引っ越しに大変である。未だ見ぬアパートをパンプレットで選び、契約を電話ですることにする。応対してくれたのは声からして若い不動産屋さんである。
その時の会話
不動産屋さん:「リョウさんてどの様な字ですか?」
家内:「鍋ぶたの下に口がある・・・・・。」
不動産屋さん:「あぁ〜。ロンドンブーツのリョウのりょうですね。」
家内:「???いや、いや田村正和の弟の田村亮のりょうです。」
不動産屋さん:「はぁ??。」
後で解った話だが、ロンドンブーツも田村正和の弟もどちらも田村亮である。時代の違いをかんじますぅ。σ(^◇^;)

tak(高浜 豊)

■2004年3月26日

移動の時期である。上の娘は中学から高校へ進学、知人のお子さんの大学進学が決まった話も聞く。それから、役所や企業の人事異動。月見ヶ丘海浜公園のワークショップで大変お世話になった県職員の方も移動が決まった。
設計事務所勤務時代は、北海道や名古屋、大阪、福岡などへの転勤の可能性があったので、移動発表の時は何となくドキドキしたものであるが、自営の今は、自分で決めない限り移動することはない。
そういえば、自分で決断しての大移動、東京からUターンしてからまもなく丸5年になる。ついこの間のような気がするが、光陰矢の如しである。

kita(喜多順三)

■2004年3月25日

宮田君と一緒に「木造軸組住宅の架構と設計」という講習会に行ってきた。講師は山辺豊彦先生。先生は木造構造設計の第一人者。学校の設計なども数多く手がけられる一方で、建築家や大工さん達と一緒に、実証試験データなどをとりながら理論と現場をつなぐ研究を続けられている。木造住宅は古来大工の手によって造られてきた。その技術と知恵が受け継がれて現在にいたっているのだが、近年は社会情勢の変化から、従来の造り方ができにくくなっている状況がある。また、若い大工や技術者の気質や資質も昔とは違ってきている。そういうこともあり、本来あまり必要でなかった法的な規制や基準なども細かく決められてきたわけである。しかし、その法律と現場との間には、まだまだいろいろと矛盾がある。この矛盾を丁寧に解決していくことが、特に木造住宅においては重要である。設計者や大工の立場である我々が、お互い謙虚に学びあうことが大事であり、その心を持ち続けることが、良い住宅を造るための要になるのだと思う。

fun(笠井義文)

■2004年3月24日

今週末は友達たちと滋賀県にあるログハウスのペンションに遊びにいく。誰よりもはしゃいでいるのは僕でおもいきり子供と遊ぼうと思っているのだが、まわりの目は1時間もたないだろうと、ばかにされている。確かに仕事より子育てのほうが大変なことだと思うし外にでてなにをがんばっても一番大切なことは家族だと思う。今年はなにかと旅行の話があっていろいろなものをみたいし、感じたい{変な意味でなくて}あとは資金の問題で今年はスナックにはあまり行けないなぁ

miya(宮田育典)

■2004年3月23日

日曜日、神山の桜を見に行った。明王寺のしだれ桜はまだつぼみが多かったけれど、彼岸桜は満開で花の下でバーベキュー。満腹のあとは墨をすって、本来の集まりの目的?である、書のお勉強です。先生が色紙をいっぱい持ってきて下さり、何でもいいからと一句.....。五七五がはじめてという小学生からか田中邦衛似の楽しいおじいちゃんまで、みんなの作品が花の下に並びました。そのおじいさんが生まれた頃に建てられたというお家の庭で、すばらしい眺めの中で過ごした1日。『春の日におなかいっぱい炭と桜』(バーベキューと墨をかけたのわかるかなぁ〜)

yuu(笠井祐子)

■2004年3月22日

この日誌にも何回か書いたが、近代美術館で開催されていたシーニック・アイ「美術と劇場」展が昨日(21日)に終了した。最終日前日の20日には関連イベントとして、声明(しょうみょう)の研究者であり演者である桜井真樹子さんの歌舞パフォーマンスがあり、会場設営と照明操作などのお手伝いをさせていただいた。展覧会の出品作品のひとつであるウーテ・ヴァイス=レーダー氏の《街を歩くこと》という作品を舞台設定として捉え、平安期の貴族と芸能民の空気を反映した、澁澤龍彦氏の「ねむり姫」という物語に題材をとった歌舞と語りのパフォーマンスであるが、現代の前衛芸術作品と数百年前からタイムトリップしてきたような巫女姿の彼女の踊りが違和感なく溶け込んだ、不思議な瞬間を見ることができたのは幸せなことだった。桜井さんは我が母校である大阪芸大の後輩(もちろん学科は違うが)であることがわかり、芸大出身者にもこんなレベルの高い表現ができる人がいることに誇りも感じる。話をしてみると気さくな人ではあるものの、自分の芸術表現への真摯な態度も垣間見えて、たぶん10歳は年下のこの後輩と比べて自分はどうなんだろうと、思わず普段の自分の行いを振り返らずにはおれなかったのも事実。建築というのは、お金やお施主さんの意向やさらには技術的側面も比重が高く、どこまで自己表現ができたのか自分でもわかりにくいジャンルなのだが、その気持ちはなくしてはならないと改めて思ったことだった。確かに、建物が出来上がったときのお施主さんの喜ばれる顔を見たいがために頑張っているわけだが、そのためだけにこの仕事をしているのではない、それだけだったら他の仕事を選んでいただろうと思うから・・・。

hon(本田圭一)

■2004年3月20日

打ち合わせ中電話が入る。「Nさん危篤」。 慌てて病院に駆けつけるが、すでに意識無し。昨年5月に手術をした。その後2ヶ月に1度のペースで会っていたのだが、ベットで横たわる彼は、ずいぶんと痩せこけていた。病名はガン。手術後徐々にではあるが回復しているものだと思っていた。どうも転移していたみたいだ。20時過ぎまで付き添っていたが、「安定状態に入っているみたいなので、今日はどうこうないと思います。」というご家族の言葉に、病院を後にした。モニターに映し出される心拍数と血圧が少しずつ下がっているのが気になった。翌日6時30分電話で昨日22時8分他界したことを知らされる。 57歳、あまりにも早い別れとなった。枕元には、全快したときにまた始めたいといって療養中彼が買った新品の野球道具と、竿がおかれていた。心よりご冥福をお祈りします。

tak(高浜 豊)

■2004年3月19日

先々週に引き続き、まちなみ調査のお話。
先週末から今週にかけて、徳島市内のまちなみ調査を行った。徳島市の中心部は、空襲により焼け野原となったため、伝統的なまちなみの残るところは殆どないといわれている。
仮に、空襲は免れたとしても、その後の高度経済成長やバブル期の地上げなどにより、往時の姿をとどめることは困難であったに違いない。
それでも、街のあちこちで、歴史の積み重ねを感じさせるところがある。例えば街路のパターン。昔からのまちにはT字路が多い。交差点のアイストップにあたるところは、寺院や神社などが設けられていて、通りの景観を引き締めている。

また、我が家の近所には加子屋敷という江戸時代の下級武士の住まいらしきものが何軒かあり、当時の敷地割りや家並みを想像させてくれるところも見つかった。
城下町徳島の都市デザイン、興味の尽きないテーマである。

kita(喜多順三)

■2004年3月18日

卒業入学のシーズンである。僕の周りにも悲喜交々いろんな知らせが聞こえてくる。目標を持って努力し挑戦する。結果はどうであれ、そのこと自身が貴いのだと思う。それは自分に期待し、自分を諦めないことなのだから。さて、3月19日は「木匠塾」の卒業式である。前にも書いたが、木匠塾は9年前に徳島でつくられた若い大工の養成学校である。この学校が今年、8期生の卒業をもって終了する。つまり我々講師たちも今年卒業である。大工を目指している若者と過ごした9年間。我々もいろいろ勉強させてもらった9年間だった。卒業生達には、ここで過ごした経験をこれからの人生に生かしてもらいたいと思う。さてもうひとつ若者の話題。サッカーのアジア予選が終わり、日本がアテネオリンピックに行くことに決まった。ヒジョウニ嬉しい!これでしばらくは家の中が静かになる、とyuuさんも喜んでいる。実をいうと僕は、小学生の頃、メキシコオリンピックで日本が銅メダルをとったのを見て、野球のユニフォームを脱いだ一人なのである。

fun(笠井義文)

■2004年3月17日

仕事の忙しさもピークになり、なんか忘れているような気がしても何かわからない。昼に会で高浜さんに会うとそれがEDIT日誌だったことに気がついた。はやく帰って送ろうと焦るが、家に帰れば夜の10時。結局、白い巨塔を見て書く始末。ほとんどテレビは普段見てないけど白い巨塔は最終回おもいきり泣きました。そういえば、最近、涙もろいというかすぐ感動する。この前も映画のラストサムライ映画館でおお泣き、明日は目が腫れてるだろうな。

miya(宮田育典)

■2004年3月16日

もう、はる、春ですね〜。
去年の秋に大きくなりすぎて天井まで届きそうだったゴムの木を思い切って半分くらいに切って、先の方を水につけてあったのが、根もいっぱい出て成長しはじめたので、鉢に植えてやりました。ゴムちゃん2世の誕生です。去年植え替えた長男くんはるんちゃんちへもらわれていきました。元気にすくすく育っているようです。次男くんも元気に育ちますように。

yuu(笠井祐子)

■2004年3月15日

昨日の日曜日、先日引き渡しも済んで新しい生活が始まったM邸にて、竣工パーティーが開催され、EDITの関係者(funさん、yuuさん、takさん、yamさん、そして私)を呼んでいただいた。ひとしきり飲み食いの後、ぽかぽかと暖かな天気のもと庭に出て、こどもさんたちと遊びながらゆったりした時間を過ごすこともできた。こうして長時間外で過ごしてみると、このM邸、ローコストだが家の小さい分庭が広く、贅沢な外部空間になっていることを実感。yamさんの提案で実現した雑木のたくさん植わった庭が建物も引き立ててくれているし、周りを見渡してもこれだけの庭空間を持っている家はない。大抵の場合、(もともと敷地が小さいこともあるが)建ぺい率目一杯に建物を造ることが多いので普段あまり感じていないが、やはり建物と庭部分のバランスがとれているととても豊かな感じがする。このようないい仕事に関わらせていただいたMさん夫婦には、本当に感謝したい。どうもありがとうございました。

hon(本田圭一)

■2004年3月14日

仕事を始めた頃、大工仕事に興味を持ち、大工さんと一緒になって、釘を打ち、木を切っていた時期がある。基本的に道具を使っての物作りは好きな方である。と、思っていた。ということで、釣り道具の1つや2つ作ってみてもおもしろいのではないかと、久しぶりに倉庫から、道具を持ち出しシャク作りに挑戦し始めたのが、1週間前。ディスカウントショップと釣り道具屋さんに通い材料調達。切っては貼り、削っては磨き、やっと出来た。既製品を買っても、高くて5000円程度の品物。おかげで高い物につきました。世界に1つしかないオリジナルのシャクと言いたいのですが、ゴッツイ不細工。これはいかんと、いじればいじるほど、コテコテになる。不器用ではないと思っていたのだが、できあがった作品を見て....俺ってゴッツイ不器用。σ(^◇^;) 職人さんにはなれませんねぇ。今度は、浮き作りに挑戦ってか。

tak(高浜 豊)

■2004年3月12日

昨日から体調が極めて悪い。胃は痛むし、頭が重く、気を抜くと睡魔がおそってくる。要するに、風邪がぶり返したということのようだ。
こんな日は、一日寝ているのが一番なのだが、夕方からエディットでうち合わせがあり、出かけていった。みんなでわいわい議論をしているうちに少し元気になり、その後の飲み会は結構調子が良くて、共通の知人の話題で異様に盛り上がり、お酒のピッチもだんだんとあがっていった。
酒の力による一時的な回復か、それとも百薬の長の効能か、結果は明日のお楽しみ。

kita(喜多順三)

■2004年3月11日

宮田君の日誌にもあったが、この火曜日、Nさんの上棟の手伝いに行ってきた。いままで設計者として上棟に立ち会うことはあっても、朝から一日現場で職人さん達と一緒に働いたことはなかった。やはり横で見ているのと、実際に体を動かして作業をしてみるのとでは全然違う。いろんな発見があって、得るものが多い一日だった。声をかけてくれた宮田君に感謝、である。夜はNさんが設けてくれた酒席へも参加させてもらい、ご家族と一緒に楽しい時間を過ごさせていただいた。こういう場所では改めて建て主と造る者との熱い思いが確認できる。そして、無事に良い仕事をやり抜こうというみんなの決意がひしひしと伝わってきた。ところで、酔いもまわりふと気がつくと、関係者の中では僕が一番の年長者である。少し前まで、こういう席では必ず僕が最年少だった。honさんではないが、寄る年波には・・・。

fun(笠井義文)

■2004年3月10日

藍住町のN邸の上棟式だった。メンバーは大工5人と笠井さんに参加してもらい、レッカーの運転手をいれて総勢7人でした。造作の仕事と違い、1ヶ月かけてきりくみしたことの結果発表だ。造作ならひとりでもできるが、建前はみんなの気持ちがひとつになって家ができていく。僕自身建築の仕事の中で緊張もしているがいちばんやりがいを感じる。いままで何軒も建ててきたが、すくなからず必ず次の課題はでてくる。それをみんなで話してすこしでも良くしていこうとしていくことが大事なことだと思う。たぶん一生のうちに完璧だといえることはないだろうと思っている。しかし、それを挑戦していくことに意味があると思う。施主さん、笠井さん、みなさんお疲れ様でした。

miya(宮田育典)

■2004年3月9日

早朝、四国放送のお家紹介コーナーでM邸が紹介された。5分くらいと短かったけれど、たたみの部屋以外はほとんど映っていたように思う。竣工写真の撮影の日にお邪魔して2時間くらい見学させてもらっていたので、新しい発見はなかったけれど、午後そのアルバムが出来上がってきて見ていると、同じ家でも撮る人の目を通して撮影されるので、面白いなぁ〜と。これは撮影している人を撮影したfunさんの1枚。わたしのはまだカメラの中。設計者のhonさんの目、施主のMさんの目。みんな同じような写真でも違うんだろうなぁ〜。みんなの写真を並べて見るのも面白いかも。

yuu(笠井祐子)

■2004年3月8日

昨日は、近代美術館で開催されている企画展「シーニック・アイ−美術と劇場−」展の関連イベントがあり、少しだけお手伝いをさせていただいた。私にとっては普段まるで接点のないオペラの演出を、ひとつの出展作品を舞台に見立てて、その前で実際の歌手を使い、あるシーンを演出してみせるデモンストレーションだ。ウィーン在住のオペラ演出家である高島勲氏による、オペラとその演出家の歴史的変遷についての1時間ほどの講義があり、その後、展示室に移って模擬演出を見るという内容。私はその折りの展示室の照明のコントロールをさせていただいただけなのだが、門外漢ながらなかなか興味深いものだった。

「シーニック・アイ」展の
ポスター

あの広い展示室の音響が意外と良いのか、歌手の方の声の響きも良かったし、それが適切な演出によってより膨らみのある臨場感を持つことも実感できた。普段の仕事とは直接関係はないが、このような経験もまた良しである。また、先の講義の内容で印象的だったことをひとつ・・・、16世紀頃、まだ今のようにオペラの演出家という存在が確立されていなかった頃、建築家が演出をしていたという話。建築家が劇場を設計し、オペラを書き、舞台の大道具を作り、演出までしていたというのだ。まさに総合芸術家。今の私たちには想像もできないことだが・・・。ところで、この「シーニック・アイ」展、3月20日(展覧会最終日前日)にはもうひとつの関連イベントが予定されている(これも少しお手伝いさせていただく予定)。是非、観に行かれることをお奨めしたい。

hon(本田圭一)

■2004年3月6日

我が家は、朝からソワソワ気分。というのも大学受験発表の日である。10時には、合格者名簿が電子郵便にて届くらしい。しかし昼になっても届かない。仕事も手に着かず現場と家を往復すること数回、やっと来ました。焦る気持ちを抑え、長男を呼ぶ。111○○番...一一一○○バン...と自分の受験番号を探してみるが、な、なぃ〜〜〜。ということで、残念不合格。w(☆o◎)wガーン
陰気な気分を吹き飛ばすため、今夜は家族で酒盛りでした。子供より先に親がダウンしてしまい、気が付くと家内と二人コタツでグゥーグゥー。さあ、果たしてこんなノー天気な家族に春は来るのでしょうか。σ(^◇^;)
頑張れ、長男クン。

tak(高浜 豊)

■2004年3月5日

私の所属する研究会で、徳島県下のまちなみ調査を始めた。かねてより研究会の重要なテーマであり、数年先には市立図書館の市民双書シリーズで「阿波のまちなみ」として出版の予定もある。幸いなことに、国の助成金も貰えることになり、本格的な調査が始まった。
手始めに、現場監理で通い続けていた美馬町の寺町を調査した。吉野川北岸、河岸段丘の少し小高いところに、立派なお寺が4軒建ち並んでいる。急勾配の大きな入母屋屋根が幾重にも重なり、甍の波というよりも、甍の山々である。

隣の脇町や貞光町ではうだつのまちなみが有名であるが、この寺町のまちなみ、それほど有名ではないが、なかなか魅力的である。これからも県内各地を廻ってみたいと思う。どれだけ魅力あるまちなみを発見できるか、楽しみだ。

kita(喜多順三)

■2004年3月4日

いま設計中のOさんの家では、柱と梁の一部に杉の丸太を使う予定である。杉の丸太といっても直径30cm以上、長さは6m〜10mもある。30年ほど前まで、日本の家のほとんどは丸太で組まれていた。それが近年急速になくなり、いまや角材だけの家がほとんどになってしまった。そしてそれにつれて長尺ものの入手はかなり難しい状況である。なので、今回丸太だけは前もって調達しておくことにし、エディットのメンバーである宮田君にお願いした。幸いおつき合いのある相生町のOさんに材料の段取りをしてもらえることになり、「丸太の皮むきやみがきは一緒にやりましょう」と声をかけてもらっている。こういう機会はめったにないことなので、建て主のOさんにも、是非ご家族で参加していただこうと思う。とても楽しみである。

プロジェクト・ボン

fun(笠井義文)

■2004年3月3日

建築物を新築、修理などをした際に、施主、施工者名、年月日、祈願文など墨で書き付け、棟木に打ち付けるものに棟札がある。たぶん、徳島だけと思うがその棟札の材料が、ヒノキで作ると火の木だから、火事が心配だといわれて、ヒノキは使われない。では、何の材料が多いかと言えば、ミズキかマツになる。マツはまつだいといって縁起がいいらしく、その木目も板目で上に昇っていくような目がいい。ミズキは水の木だから、水に強いなんて使われるが、僕はそれがおかしいように思う。ヒノキは逆の意味でとらえて、ミズキは水に強いなんてヒノキに失礼な話だ。職人さんにきいても確かな答えが返ってこない。たぶん、最初に誰かが言ったことが広まったのだろう。そこで、逆にミズキは水の木なので、雨漏りとか、湿気に弱いと僕はいっている。そして、10年後ぐらいに周りからミズキは水の木だから、だめだなんて聞こえてきたら僕たち大工のヒノキに対する謝罪になるかな?

miya(宮田育典)

■2004年3月2日

空手はたしか2ヶ月・・・、ヨガは1ヶ月・・・、運動不足の解消に何かしようと思うんだけど、いつも続かない。今回は友達に教えてもらった『おしり歩き』。両足を前に投げ出してすわり、おしりで前後に歩くというもの。5歩くらい前に進み、こんどは後ろへ5歩。すごく簡単シンプルなのだけれど、これがけっこうな運動量で、5分もすれば十分らしい。わたしの場合は1、2分で一休み。場所もとらないので、日曜日と月曜日はTVドラマを見ながら、コマーシャルの時間に思い出してイチ、ニ、イチ、ニ、とやっています。続けるために毎日TVドラマ見るかな?

yuu(笠井祐子)

■2004年3月1日

3月になった。もう一年の6分の1を過ぎたなどと毎年書いているような気がする。毎年、何とか生活習慣を正さないといけないと思いながらなかなかやめられないものにタバコがある。今時タバコを吸っているなんて、自己管理もできない奴だという烙印を捺されてしまいそうだが、事実そうなのだから反論のしようもない。エディットの室内でもついつい吸ってしまって、yuuさんの顔色を窺う始末・・・。周りでタバコを吸うのは私くらいだと思われていて、先日も知り合いから「本田さんタバコ吸ったよね。これあげる。」といただいたのがコレ。むか〜し、親父が吸っていたことのあるラッキーストライクというアメリカのタバコだ。もちろん、今は活性炭のフィルターもついてニコチンやタールも軽くなっているのだけれど、今は亡き親父を思い出して何だか懐かしい。吸ってみると少し辛口で旨い・・・、などと書いているようでは、やめられる訳ないですよね。

hon(本田圭一)

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