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■2002年9月30日
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yuuさんの日誌にもあったように、先週末一緒に東京へ行ってきた。年に1〜2度は何かの用事で東京へ行くけれど、その都度小さなテーマがある。テーマと言っても「今回はあそこを見るぞ〜」とか「あれを初体験するのダ〜」とか「あれを喰うのジャ〜」といった、ごくたわいのないこと。で今回のテーマは、カメラぶらさげ東京の街をスナップ取材、だった。大学の時に4年間東京近郊に住み、都内の学校に通っていたけれど、実はカメラを持って東京の街を歩いたことは一度もなかった。
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だから今回は生まれて初めての体験。どんな被写体を撮そうかと思案し、はやる気持ちはアラーキー、赤瀬川。でやっぱり一番東京らしいものを撮ろうと決め、東京の一番の名物は?と考えたすえ、それは即ち「ひと」という結論に。その数、種類、いろんな意味で他ではなかなかお目にかかれないものだ。しかし、さすがに被写体の正面にカメラを堂々と向ける勇気はない。あらためてスナップシューターの偉大さに敬意を表したのであった。写真は代官山のカフェテリアでの一枚。子犬と朝食をとるご婦人と通りすがりの外国人の組み合わせ。写真のデキはともかく、このショットもなかなか徳島では巡り会えない、ということで。
fun(笠井義文)
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■2002年9月29日
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今頃ディズニー初体験。27日funさんが性能保証の講習会のため東京出張。金曜日ということと泊まった方が交通費が安いということもあって、わたしもお供することに。で、この日は浦安の隣市に住んでいる友人に付き合ってもらってディズニーシーへ行ったという訳です。並ぶのイヤだなぁと思っていたのだけれど、ファーストパスというのがあってそれを取るとその時間に行けば並ばなくていいというシステムがあって、2つの乗り物と2つのショーを見てきました。そのあいだは食事をしたり、お茶を飲んだりする以外ほとんど歩いてばっかりで、足の裏にまめができてしまった。1〜2万歩以上は歩いたと思う。万歩計をもってくればよかったと後悔。ふだん2000〜3000歩しか歩いていないものねー。次回は万歩計をつけてディズニーランドへ。
yuu(笠井祐子)
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■2002年9月26日
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少し前になるがこの24日は長男の二十歳の誕生日だった。北海道で学生生活をおくっているので何もプレゼントをしてやれないが、仕事の合間に私なりの言葉でメールを送っておいた。すぐに、二十歳になった自覚を持って頑張るというような内容の返信が届き、親として健全に育っていてくれる幸せを感じると同時に、私自身の父のことも想い出してしまった。父は戦時中に、満州にて戦闘機の設計にたずさわっていた技術将校で、長い間当時のソビエト連邦に抑留されたこともあって身体をこわし、戦後は大手のポンプ製作の会社に勤めながら、母と結婚し、私と弟を育ててくれた。私など足元に及ばないほど優れた才能を有し、社会的に評価もされたが、ガラスのような神経と体の調子はずっとおもわしくなく、私が19歳の時に亡くなった。父は私にとって今でも一番の尊敬の対象であるが、学業の面や精神面で苦しい想いもしてきたので、とりあえずは息子が二十歳を迎えた今、何とか元気で働けている自分の存在が、息子にとって意味のあるものであって欲しいと願わずにはおれない。まだ、次男は中学3年である。この先いつまで元気で頑張ることができるのか、その姿を子供たちに見せてやれるのか、まだまだ正念場はしばらく続きそうである。
hon(本田圭一)
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■2002年9月25日
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貴乃濱が行くの原稿締め切り日が、近づいてきた。今回はどこに行こうか?と悩みつつ、現場を後にする。橋を渡り、線路をこえ、やがて国道。三叉路の信号機をわたり国道へ出た。あ、いかん、いかん、とあわててシートベルト。付け終えるか、終えないかで、目の前に、旗を持ったオッサン「こっち、こっち」と、旗を振る。
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オッサンと思ったのは、お巡りさんでした。(^。^;) どうも、さっきの信号機の所でスパイしていたようである。いやいや、ご苦労さん。お陰で大事故に、つながらなかってよかったです。ボーとしていた気持ちが一発でシャキとなった。皆さん、考え事をしながらの、運転には注意しませう。
tak(高浜 豊)
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■2002年9月24日
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先週に引き続き3連休明けの火曜日。天気はスカッとした秋晴れだが、朝晩ずいぶんと涼しくなったせいか、少し風邪気味ですっきりしない。日曜日は小学校の運動会で早朝からの準備のお手伝い、月曜日は台湾からの「町並保存聯盟考察団」のお供で脇町や藍住などをご案内、少々疲れがたまったようだ。
台湾からの考察団は総勢27名、町並み保存や建築・都市計画の専門家の一行で約1週間かけて歴史的な町並みや阪神大震災の関連施設などの視察を目的に訪日している。私の所属する「阿波の町並み研究会」とは以前からつながりがあり、今回も脇町のうだつの町並みや藍住の藍の館等の案内が要請され、お供することになった。
拙い英語で説明をしなければならないというプレッシャーを感じつつ一行をお迎えすると、日本語ペラペラの人が2〜3人いて、その人たちが通訳をしてくれたので一安心。こちらは考察団一行を考察することに。
見ていると、一言も聞き漏らさず全て調べて帰ろうという熱心な人もいれば、買い物や記念撮影に一生懸命な人、長旅の疲れでぼんやりしている人、マイペースで単独行動にいそしむ人と様々、そして、一番疲れてそうに見えたのは添乗員の人。これは日本人の団体旅行の行動パターンと同じで、言葉や文化が違っても人間が団体で旅行するときの行動様式にさほど違いはない、これがかなり乱暴だが、考察団の考察結果であった。
kita(喜多順三)
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■2002年9月23日
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F邸の建具取り替え工事をさせてもらった。デザイン担当はhonさん、施工担当はtakさんである。この建物はそもそも100年以上前に建てられたものだが、本体はまだしっかりしており、部分的に改造をかさね、住宅としてずっと使われてきている。今回は南面する外部の建具を新しくする工事。防犯上、施錠できる建具にしたいとのご依頼だった。普通なら、アルミサッシなどに取り替えてしまうのだが、それではあまりにも風格ある建物に失礼、ということで昔ながらの木製の建具を入れることになった。
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ただ内部の建具ではないので、やはり耐候性を考えることがポイントだった。で結局、檜の框戸に透明ガラスとすりガラス、内側には取り外し可能な障子の組子を入れこんだ形に納まった。無塗装なので今は白木だが、ほどなく周りの色に馴染んでくるはずである。ややクルイがでている敷居、鴨居、柱を調整し、建具をなじませながらの仕事だったが、ご家族にも気に入ってもらえたようで、ひとまず安心。こうやって、補修や改造でていねいに手をいれていると、住宅というのは想像以上に長くもつもの。古い家は、いまどきの生活からみると機能上不便なところもたしかにある。しかし、それを厭わず、守っておられる住まい手の姿勢は、とても素敵だと思う。
fun(笠井義文)
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■2002年9月20日
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明日から先週につづいての3連休。少し涼しくなって過ごしやすくなってきたので、たまっていた掃除や片づけをしている。まだ衣替えというほどではないけれど、少しづつ夏物をしまっていったり、長袖を出したりと部屋の中が片づかない。たぶん11月はじめの連休くらいまでこの状態が続くことになりそう。毎年増える一方の衣類をはじめとするモノたち。3年着ない服は捨てるとか、1着買うと1着処分するとかいう人もいるけれど、そんなに割り切れるものでもない。ため息をつきながらも、家中が物置にならない程度に片づけることにする。理想はどこに何がしまってあるか、ひとめで見えるような収納なんだけど、これにはいろいろと限界があるので、まずは自分で覚えられる範囲のものしか置かないこと。もの覚えをよくするか、ものを少なくするか、どちらにしてもいつも何かを探している身としては、切実な問題です。それより出したモノはもとの場所にしまう、それが一番なのはわかっているんだけど.....。
yuu(笠井祐子)
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■2002年9月19日
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今日は「徳島専科」の納品が急に決まり、スケジュールがタイトだった。朝一番に事務所を出て、帰ってきたのは午後10時半。現場もあったが、カメラを忘れてしまっていた。急遽、使い切りカメラを買って写す羽目に・・・。その原因は、いつも車に積んでいるデジカメが入院してしまったことだ。重宝していたコダックのデジカメにリコールが発生し、今朝、着払いの宅急便で修理に出した時に思い出していれば、事務所に戻ってカメラを持って行けたのに、全くそのことに気付かなかった。最近、こんなことがあまりに多い。もう少し気持ちに余裕を持たねば・・・。
hon(本田圭一)
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■2002年9月18日
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腰痛もだいぶ良くなり、絶っていた晩酌を始めることとする。
もうずいぶん我慢したように思うが、家内に言わせると、たった3日間であったようだ。風呂上がりにいただいた久しぶりに味わうビールは格別な物があった。調子にのり、もう一本と席を立った瞬間、腰に電気が走った。が、悟られないように 「うまいなぁ」なんていいながら、さらにもう1本。食事を終えて、すぐに湿布を貼ったが、さあ明日はどうなっているでしょう。(ーー;)
いつまで経っても懲りないオヤジである。
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tak(高浜 豊)
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■2002年9月17日
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3連休明けの火曜日、雨模様ですっきりしない一日だった。何となく頭が重く、右手がちょっと痛いこともあり、仕事がはかどらない。頭が重いのは気圧のせいだけでなく、連休中の夜更かし朝寝坊のつけがまわったこともあるのだろう。右手が痛いのは日曜日に7〜8年ぶりにボーリングをしたためだ。仕事がはかどらないのは、頭が痛いとか手が痛いというよりも、休みの間の怠け癖が抜けないからで、メリハリのない暮らしは悪循環する。
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ところで、久しぶりのボーリングで驚いたのは、IT化というか、自動化が恐ろしく進んでいることだ。受付でスコアシートを渡されないので変だなと思ったら、点数はすべてコンピューターが計算し、その結果が手元のモニターと上部のスクリーンに映し出される。おまけに、頼みもしないのに投球フォームやボールの初速がVTRで表示される。知らないうちにボーリングがとても恥ずかしい遊びになったような気がした。
ゲーム終了で精算が終わると、プリンターからスコアシートが打ち出され、一投目、二投目に倒したピンが表示される。昔の鉛筆で書き殴ったスコアを思うとまさに隔世の感である。肝心のスコアだが、偶然の出来過ぎで3ゲームのアベレージが155、初めてボーリングをした娘たちを前に、久しぶりに「どうだ、参ったか」と自慢していた。
kita(喜多順三)
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■2002年9月16日
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今日は連休二日目の振替休日。ひさびさに「休日」といった日だった。まず、いつもより一時間ほど遅く午前7時に起床。嫁さんと近くの川辺に散歩兼カメラ撮影にでかける。8時に帰宅。朝食をとり、その後しばらくワープロに向かって原稿を書く。10時になったのでテレビをつけ、NHKの「五嶋みどりー絆ー」というドキュメンタリーを見る。NHKのドキュメンタリーは、いろんな人の生きざまを紹介してくれるので、とてもいい(そういえば最近ほとんどニュース以外のテレビを見ていなかった。大ファンである松たか子ちゃんのドラマもないし)。
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その後、父を新築祝いに送ってから事務所へ。メールのチェックと明日の準備を簡単にすませ、ちょっと本屋に寄ってから帰宅。昼食をつくる手伝いを少しして、昼からビールを少しいただく。午後予定のない休日の昼にお酒を飲むという贅沢。これを知ったのはつい最近、建築家の宮脇檀さんのエッセイを読んでからだ。昼食後は読書、そしてうたた寝。おかげで日頃の睡眠不足を解消できた。そして入浴、夕食の後、こうして日誌を書いている。ただいま午後8時45分。嫁さんは10時からの「smap&smap木村拓哉特集」まで、時間待ちの読書タイム。私はこの後、また原稿書き&読書かな。
fun(笠井義文)
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■2002年9月13日
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もう15年くらいお茶のお稽古に通っている。昔いいなぁと思って習いはじめたのだけれど、同じことの繰り返しのように思ってすぐにやめてしまった。お茶を習ったことのない人にはそう思ってる人が多いと思う。同じことをン十年もよくやるなぁと不思議に思っているらしい。でも実際は、季節によって炉の位置が変わり、ということは他の道具の位置もかわり、お手前の順序も微妙にかわる。また棚やお茶入れの種類も数え切れないほどたくさんあって、その扱い方も違うし、相手や時間によっても違ったりする。いろいろ新しいことを習うのは楽しいけれど、とても1回や2回では覚えきれず、そのうち季節は変わって....の繰り返しでいつまでたっても覚えられない。先生は基本ができていればあとは臨機応変に、などと言ってくるけれど、違うことを習うたびに、その基本さえあやしくなってくる。続けるほどに分からないこと、知らないことが増えていく.....。いつまでたってもやめられないという訳デス。
yuu(笠井祐子)
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■2002年9月12日
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今日はほぼ一日、事務所で仕事。落ち着いて仕事ができると言えばそうだが、汗をかきながら現場に出て打ち合わせする方が、なんだか気分が良い。あっそうそう、明日は「徳島専科」の増刷の納品と現場を見るために外に出る。明日は気分良く過ごせるかな・・・?「徳島専科」と言えば、もう3回目の増刷を迎える。エディットが始まってしばらくしてさせていただいたグラフィックデザインの仕事で、物産協会から、人目を引いて簡単には捨てにくく、物産の紹介だけでなく様々な情報の詰まったパンフレットという要求に、funさんと二人で一所懸命取り組んだことが思い出される。それが最初の3万部だけでなく、もうすでに増刷で6万部を刷り、今度は5万部刷るわけだから、全部で14万部を発行することになる。この種のパンフレットとしては、恐らく前代未聞の部数になっているはずだ。きれいきれいないかにもデザイナーが頑張ったパンフレットが、3万部刷ってもたくさん残ることが多い中、グラフィックの専門家ではない私たちの作品が人気を保っていることは、ちょっと愉快ではある。人が良いと思う要素は、決して「きれい」という部分だけではないことを証明していると言えるのではないだろうか。住まいや建築もまたしかり・・・。
hon(本田圭一)
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■2002年9月11日
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久々に腰痛が顔を出した。いつもなら、グキッときて後はもう歩けない状態、いわゆるぎっくり腰というやつですが、今回は、ジワ、ジワとやってきた。じっとしているぶんには何ともないが、立つ、歩くが非常にしんどい。そのうち、体も左にくの字に折れ曲がり、前屈姿勢が出来なくなってきている。整骨院で治療を受け、Funさんが、勧めてくれた、ビタミン剤を買ってきたのだが、だんだん症状が悪化してきている。この調子で行くと、明日はきっと歩けなくなる予定である。
( ̄□ ̄;)!! 誰か特効薬しりませんかねぇ?
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tak(高浜 豊)
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■2002年9月10日
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先週末、泊まりがけで東祖谷を訪れた。目的は当地の伝統的な民家を再生・活用するための現況調査である。
平家の落人で有名な祖谷の民家は独特の形式を持つ。通常の民家といえば田の字型の平面が多いが、ここの民家の平面は座敷が2部屋か3部屋で、接客に使われるオモテの間が12畳半から18畳とかなり広い。平家一族の結束を保つため、一族郎党が集まり、様々な行事を行うために広い部屋が必要だったのか、平家が都で暮らしていた時の部屋の広さが受け継がれたのか、今となっては知る由もないが、想像が尽きない。
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また、オモテの座敷側に便所を設けるのも特徴である。聞くところによると、いつ追っ手が迫ってくるか分からないため、片時も油断ができず、そのため、トイレも下の谷が見下ろせるよう、こんな配置になったらしい。追われる身の切実さ、こちらは想像を絶する。
そんな由緒あるすまいが、存亡の危機に瀕している。過疎化が進み、住み手がいなくなる。高齢化が進み、床の段差などのバリアが問題化しているなどなど、今ではどの山村でも聞かれる状況がこの地でも着実に進んでいる。
このまま手をこまねいてはいられないということで、集落全体の保全やここの住まいの再生・活用が緊急の課題となり、今回の調査に至ったのだが、ことはそう簡単に解決するものではない。それでも、少しでも役に立てばと、これから頭をひねらなければ.......
kita(喜多順三)
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■2002年9月9日
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前回の配筋検査の話のつづき。鉄筋がちゃんと組まれているかどうかを見るのが配筋検査。設計者が、図面に書いたとおりにできているかどうか、現場で確かめる作業である。ふつう、鉄筋はある一定の間隔で組まれる。15cm間隔や20cm間隔で鉄筋が整然と並ぶと、それはもう壮観であり、美しいもの。鉄筋工の職能はその美意識にささえられていると言ってもいいほどだ。また、この配筋の世界には、独特のユーモアもある。例えば呼び名。俗語も含めいろんな言葉が使われる。
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縦横均等に並べられた鉄筋。これは俗に「もちあみ」と呼ばれる。そう、正月につくお餅を焼く網に似ているからである。また「はら筋」や「あばら筋」というものもある。ちょうど真ん中に通る鉄筋や、うつむいた時の肋骨のような格好の鉄筋を指している。それから鉄筋と鉄筋のジョイント部分は「つぎ手」という。しっかり手と手を繋いでお互いに放さないようにね、というニュアンスが伝わってくる。堅さが自慢の鉄筋の世界。厳格が信条の技術の現場。そこで、昔からこのような言葉を交わされてきたのかと思うと、ちょっと嬉しくなるではありませんか。
fun(笠井義文)
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■2002年9月7日
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ある家を見に行った。そこは神社の隣にあって大きな木に隠れるように建っていた。長い間だれも住んでいなかった敷地内には桜や椿の木が屋根より高く成長していて、木々の間から見えるのは空だけ、まるで別世界に入ったようで、子供のころ毎週のように遊びにいっていたおばあさんの家を思い出した。そのおばあさんは大きな木に囲まれた家に一人で住んでいて、そこには母屋とは別の離れ(あるいは一室だったかもしれないけれど)があって、いつも何人かの子供たちが来ていた。わたしは好きなマンガを読むためにだけ通っていたようで、他のことはあまり覚えていないけれど、おやつをもらったり、他の子と遊んだりもしたように思う。
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いったいどんなおばあさんだったのだろう、どんなことを考えていたんだろうって懐かしく思った。この家もまた人が集まってくるような家になると楽しいだろうなー。
yuu(笠井祐子)
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■2002年9月5日
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今日は日中、2つの現場を行ったり来たり、ほとんど外にいた。おかげで少し日焼けしたかも知れないが、とにかく暑い。9月も5日になろうというのに暑すぎる。これもやっぱり地球温暖化のせいか?その地球温暖化を緩和?する、あるいは阻止する会議が南アフリカで開かれていたというが、例の京都会議で決定された議定書をめぐって、様々な駆け引きが世界中で始まっているらしい。例えば、開発途上国で、ある先進国が技術供与してCO2が何万トンか減ったとすると、その減った分をその先進国のCO2排出量に足し込めるというような・・・。これって建築基準法の容積率の貸し借りに似ている。あるいは、株式市場の先物取引やオプションに似ている。私個人の感覚で言うと、こんな机上の論理で取り引きされるという今の世界に幻滅を感じている。アメリカ合衆国の持ち込んだギャンブル性の高い、何でも市場経済のシステムに組み入れようとする考え方は、どこかで破綻するように思う。もっと、実体経済に視点を移さなければならないと思っているのは私だけだろうか?つまり、もっと実際の状況を見据えることが大切なのではないだろうか。暑さのせいかなぁ・・・、今日はイライラしている。
hon(本田圭一)
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■2002年9月4日
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パソコンラックを買いに、某家具屋さんへ行った。体育館のようなだだっ広いところに、家具達が所狭しと陳列されている。むせかえる空間と何とも言えない、防腐防虫剤の臭い。ゆっくり観覧したかったが、胸が悪くなり5分程度で外へ出た。船酔いにでもあった様で気分が悪い。かつはこの臭い、新築の住宅には付き物であった。若きしころは何とも思わなかった。いやいや、心地よく感じた事もある。たばこをやめて、体が浄化されたせいでしょうか?どうも、体がこの手の臭いを受け付けなくなっている。どうりで、世間がシックハウス病、新築病、などど騒ぐわけです。これじゅあ、体も変になりますわ。
tak(高浜 豊)
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■2002年9月3日
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昔の仕事仲間からメールをもらった。以前私が設計した建物を訪れる機会があって、その近況報告である。こういう場合、悪いニュースが多かったりするが、良い知らせで一安心。
今から10年程前のこと、茨城県つくば市で市民農園を整備する話があり、その企画から参加する機会を得た。それまでの日本の市民農園は、どちらかというと河川敷の荒れ地のような様相を呈していたものが多く、何とか視覚的にも美しい農園整備をいうのがスタート時点での建築主との合意事項だった。それで、園路は全て曲線とし、随所に四阿を設け、中心部にはクラブハウスを配置するなど、あれやこれやと楽しんで設計をした。
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メールに添付された写真を見ると、背後にある精米施設の目隠しに植えたメタセコイアは大きく成長し、また、クラブハウスが農園の緑と同調しているようだ。利用者にも評判は良いらしく、外壁も狂いが心配だった木製窓も良くメンテナンスされているという。
こういう知らせがもらえるのは、まさに設計者冥利であるが、それには設計の善し悪しだけでなく、建築主との信頼関係、そして建築主や利用者が建物に愛情を注いでくれることが不可欠と再認識。
kita(喜多順三)
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■2002年9月2日
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住宅の基礎の配筋検査にいってきた。配筋検査とは、鉄筋コンクリートのコンクリートを打ち込む前に、その中に入るべき鉄筋が設計図どおりにちゃんと入っているかを確かめること。専門家にとってはごく初歩、あたりまえの話だが、一般のかたのためにちょっと解説してみる。鉄筋コンクリートとは、鉄筋の強さとコンクリートの強さがお互いにうまく効き合い、一体となって強い構造物になるという原理。
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だから、鉄筋はちゃんと組まれていなければならず、コンクリートはきちんと打ち込まれなければならない。そしていったんコンクリートが固まってしまえば、もうやり直しがきかない。ということで、見えなくなってしまう鉄筋は事前にチェック、検査されるわけである。配筋の基本は、どれだけの太さの鉄筋をどれだけの量、どの場所に設置するかということ。だから、検査の内容は、何mmの鉄筋が、何cm間隔で、指定された場所にちゃんとあるかどうかを確認し、できていなければ指示して、手直しするということになる。というと、無味乾燥、四角四面の世界のようだが、なかなか面白い話もある。それについては、次回に。
fun(笠井義文)
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