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家づくりの名言
2008.5.10更新
下階から上がりきると、左手に台所があり、振り向くと初めて居間が見える。初めて訪れた人々はこの振り向いたときの光景が忘れられないという。また居間にいる人にとっては、来訪者と顔を合わせるまでに適度な「間」がもてる。
 
(吉村順三・建築家)

別名「小さな森の家」と呼ばれる、軽井沢の吉村山荘のお話しです。この建築は住宅ではありませんが、別荘としてのその居住性は絶賛されていて、多くの住宅設計者たちのお手本になっています。

その建物を訪れる人への配慮、ちょっとした驚き、感動の演出。迎える人と来訪者との「間」などにもさりげなく気を配った設計術。一般住宅にもぜひ取り入れたい手法ですね。

 

笠井義文

2008.4.25更新
わが国の住宅から伝統が途絶えて久しい。これは、1945年、日本が戦争に敗れ、心の支えを失ったからかもしれない。日本の戦後は、戦災で焼失した住宅の大量供給から始まった。その手段を選ばない「新築至上主義」がエスカレートして今日まで続いている。
 
(降幡廣信・建築家)

人社会の経済状況と建築とは、切り離せない関係を持っています。特に大型施設や商業建築は、質量ともに直接影響をうけます。戦後の急速な経済成長がビルブームや巨大都市を生んだのは誰もが知るところです。

住宅のスタイルはそれほど経済状況に影響されるものではありませんが、資材の高騰や公共投資などと無関係ではないでしょう。昨今の社会不況下、「新築至上主義」は影を潜めつつありますが、これは、自分に相応しい家をじっくり造ることができるようになった、と歓迎すべきことなのかも知れません。 

笠井義文

2008.4.10更新
家づくりの過程では、よく「業者にダマされないように」ということを口にする。ところが一番の難物は、自分自身のイメージの中に巣くった「他人の生活」。つまり「となりの芝生」のイメージだ。とくに外国から輸入された「洋風生活への憧れ」が危ない。
 
(藤原和博・杉並区和田中学校校長)

人にダマされないように、と考える前に、自分の固定観念、先入観にダマされないようにしましょう。となりの芝生は良くも悪くも見えるもの。でも、それはやはり我が家の芝生ではありません。という教訓。

家づくりはその人の生き方を示すものでもあります。他の人と同じような生き方がしたいのであればそれもよし。違うものを求めるのもまたよし。ただ大切なのは、そのことを一度自問自答してみることです。一番の難敵は、あなた自身の思いこみなのですから。 

笠井義文

2008.3.25更新
ディテールは究極としては原寸の世界の話なのだが、原寸だけがべらぼうに良くて、全体はアウトという建物がひとつもないという事実。つまり、良いディテールを持っている建物は必ず全体のコンセプトなり、構成が確実にあって、その基本概念を受け、細部までフォローするものとしてディテールがある。
 
(宮脇檀・建築家)

ディテールとは、建築や住宅の細部の納まりや仕上り、精度などのこと。これは長い歴史の中で淘汰されてきた職人技の世界であり、専門家でもなお難しい領域のお話しでもあります。

見た目の美しさに加え、強度や耐久性、機能性、メンテナンスのし易さなど多くの要素を持ち、それをかなえるためには確かな目と腕が必要となる。そして、それがきちんとできている家は、全体としてもよく考えられた良い家である。ということですね。

笠井義文

2008.3.10更新
建築はエレクトロニクスを駆使した時代の先端をいくような技術と違って、素人や常識の延長線上でつくられているところにこそ特徴がある。そこがロケットやエレクトロニクスにはまねのできないところです。
 
(藤森照信・建築家/建築史家)

「超高層ビルや高速道路ができた今も、昔と変わらず人間は同じ歩幅出歩いている」とはある建築家の言葉。時代とともに高度になっていく技術とともに、私たちは変わらないものも持ち続けています。

建築、特に住宅は、「同じ歩幅」で歩き続けている人々が生活をする大切な場所。だからこそ、素人的な考えが活かされ、常識的な判断が求められているものなのですね。

笠井義文

2008.2.25更新
「モノを絞ってすっきりと気持ちいい環境のなかで効率的に仕事をしたい」これが僕の“空間”の整理を行ううえでの大前提になっています。整理がきちんとできれば、自分が把握していなにものがいっさいない、クリアな状態になる。そうすれば仕事の効率も上がるし、リスク回避にもなるのです。
 
(佐藤可士和・アートディレクター)

可士和さんは、仕事をするうえでも生活をするうえでも「整理術」が大変大切であると言われています。何かをしようとするとき、頭の中にはいろいろな発想やしたいことが浮かびますが、なかなかそれを整理して行動できないもの。

住まいの設計においても同じ現象が起こります。自分のしたいことやしなければいけないことが未整理のまま事が進み、後で後悔することも多々あります。「超整理術」は、住まいを考えるうえでもとても大事な知恵です。

笠井義文

2008.2.10更新
ついの栖を建てるには四千万円を必要とすると考える。そこでその計画を中止して、五百万円を3DKの内装に投資する。・・・・・千五百万円で山の中に土地を買い、小舎を建てる。アパートで余った家具類をそこへ持ってゆく。土曜日と日曜日は山小舎で暮す。これでも二千万円は余ることになる。これは妙案だと思うが、やはり、実行した人は一人もいない。
 
(山口 瞳・作家)

人は慣例や習慣に縛られるもの。これまでは、ついの栖を建てることが人生の目標のように思われてきました。しかし、それをあたりまえとしてきた時代は終わったのかもしれません。

まず自分のライフスタイルを確立する。そしてその環境づくりとしての家を考える。家を持つことは目的でなく一つの手段。都会の生活と山の中での暮らしを両立させるためにあえて家を持たない、ということも、立派な「家づくり」といえるのではないでしょうか。

笠井義文

2008.1.25更新
作る途中のプロセスに一切関われないで、それでも愛情を持てとか、大事にしろとか教育されるのは酷な話だ。「オレは数学が好きだったから、おまえも数学が好きになれ」という横暴に、どこか似ていはしないだろうか。
 
(藤原和博・杉並区和田中学校校長)

家をつくるひとたちはおそらく全員、住む人たちが愛情をもってその家を大事にしてくれることを望んでいます。しかし残念ながら、そうなっていない状況もしばしば見うけられます。これは、つくる側の人たちが「数学」の意味や楽しさを、住むひとたちに十分に伝えていないからではないでしょうか。

「数学が好きになれ」という強制はいただけませんが、「数学は楽しいよ」ということを語り、それに共感を得てもらうことは大事だと思います。そして、そのためには、両者が「プロセス」を共有することが必要なんですね。

笠井義文

2008.1.10更新
人々はこの根拠地を得てはじめて、社会の中に生活も可能となるのであり、平和な世界となると私は考えたい。されば、逆に社会にとって、最も大切なのは、人々がよりどころとする彼らの住居を与えることである。物質的な場と人間的な関係とを。
 
(吉阪隆正・建築家)

我々は日頃、住居と平和とを結びつけることはあまりないでしょう。しかし、世界には平和も住居も無い生活を強いられている人たちがたくさんいます。このことを肝に銘じることも、自分たちの住まいを考える上での大切な心構えではないでしょうか。

そして、平和のためのよりどころである住居にとって、「物質的な場」だけでなく「人間的な関係」を獲得することがいかに大切かは、昨今の多くのニュースが知らせるところです。 

笠井義文

2007.12.25更新
家はいくら間取りを変えても、自分の生活に合わない場合がある。その時は、環境を変えるしかない。一生住む「箱」をつくるのが家ではなく、その時代のその生活水準に立って選べる家に住む。そして、また次の家に移っていくといったや「やどかり式」の住まいの方式になるのではなかろうか。
 
(黒川紀章・建築家)

黒川さんの三十数年前の言葉です。その頃は、高度成長、建設ブーム、団地に住み、やがては郊外に一戸建てというのが、都市のサラリーマンのお決まりのコースでした。しかしそういった画一的な家への志向に早くから異を唱えた気鋭のひとりが黒川さんでした。

経年の変化によって社会状況や家族が変わり、転居や移動を余儀なくされてからやむなく居を構えるより、自分から能動的に環境をかえていくという考えは、30数年の時を経て、いままさに時流を迎えているように思います。

笠井義文

2007.12.10更新
建築家によっては、依頼者に甘言を弄する者も、いるような気がする。意匠面の斬新さだけではなく、生活面の快適さもうけあいましょう、と。まあ、なかには例外中の例外で、それを両立させてしまう建築家も、いるのかもしれない。だが、こういう甘い言葉は、まあ信用しないほうが無難だろう。
 
(井上章一・国際日本文化センター教授)

井上さんは、若い頃に建築の設計を学ばれています。なので、これはご自分の体験からの実感としての言葉。建築家と依頼者の間には、「そこまで言ってしまうと百年の恋もさめるのでは」というホンネもありますが、逆に裏付けのない甘い文句もあるように思います。

それらをうまく理解し合うことが、あとでお互い後悔しない秘訣となるでしょう。一般には、「そこまで言いますか」という人が誠実だと思われますが、それにもやはり例外はあるようです。

笠井義文

2007.11.25更新
家にいま残っているものは何かというと、家族みんなでそろって食事をすること、これがとても大事じゃないか。ですからぼくはわりあいにその場所を家のセンターに置くんです。あとはそれに付随して広々とした部屋、広い居間があればそれに越したことはありません。
 
(吉村順三・建築家)

縄文時代の住居やパオのようなものをみても、家の中心は食事の場所になっています。古今東西食事をしている人たちはみんな幸せな顔をしている、とはワタミの渡邉美樹さんの言葉。
   
家族が笑顔でそろってする食事の時間と空間を大切にすることは、もちろん住まいや家族を大切にすることにつながります。そういえば人間は食い溜めができません。頻繁に食事をしなければならないことと、家族の幸せとには、深い関係があるのかもしれません。

笠井義文

2007.11.10更新
クライアントに一室空間的な「箱の家」を提案することは、煎じ詰めると家族が一体であるという家族幻想を提案しているわけです。これは進行する家族の解体という現象に抵抗しているというか、明らかに現実に適合していないわけだから、社会学的に見れば間違いということになるかもしれない。
 
(難波和彦・建築家)

幼い頃の体験としてよく話題にのぼるのが、台風の時のことです。日頃は別々の生活をしている家族が、その時に限って一緒に行動を取り、みんなで天災に備える。そして一部屋に集まって時が過ぎるのを待つ。その時のなんとも言えない一体感が懐かしく思いだされる、というものです。

ひとつの空間に家族が集まり、家族として何か(他者・社会)に対するという行為が、たとえ幻想であっても、社会学的に間違っていても、家族の絆を繋ぎ止めることができるのであれば、それは素晴らしいことでしょう。家にその一役を担わせるのは、創るものの使命かもしれません。    

笠井義文

2007.10.25更新
いまではこれだけ経済的に豊かになったのに、「住まう」という面では、残念ながら相当意識が後退していまった。住宅を語ることを庶民の教養とする蓄積がない。だから、ことさら国として教えることもない。はなはだ寂しいが、いまの日本はそういうレベルだ。
 
(藤原和博・杉並区和田中学校校長)

よく言われることですが、昔はこまめに掃除をしたり、年末には畳をあげたり、台風の時期にはあらかじめ補修をしたりと、みんなが家の世話をよくしていました。それだからこそ、家に関心もあったし、愛着も生まれたのでしょう。

そういえば、家族の会話のなかにも、家のことがしばしば出てきていたように思います。そしてそれが、一般庶民の「教養」につながっていたのですね。メンテナンスフリーで、家に手をかけなくしてしまったことは、逆に「教養」をなくしてしまうことに、手を貸してしまったのかもしれません。

 

笠井義文

2007.10.10更新
採光がほどよく、椅子が机やからだにぴったりで、壁も文句なく、静かきわまるものだったら、アイデアは何ひとつ浮かんでこないであろう。未来小説には、みちたりた完全な社会のなかで、人間の退化する話がよくある。それと同様に、住宅の場合も、精神的刺激のためにいくらかの不満を残しておくことが必要なわけであろう。
 
(星 新一/作家)

世の中には、およそ使い勝手を無視したような住宅もありますが、それも、「精神的刺激」のためには、案外役に立っているのかもしれません。目先の快適性をもとめるだけでは、退屈な住宅になってしまうのも確か。「不便は承知だが、私はどうしてもこういうふうにしたい」という気持ちは、魅力ある家づくりにとって、とても大切な要素です。でも、自分も含めて、そう言いきれる人が極めて少ないというのも事実ですが・・・。

 

笠井義文