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家づくりの名言
2007.9.25更新
住宅の仕事を誠実に遂行している業者は、一般の人が考えているほど利益はないものだということです。特にしっかりした設計者が入った場合は、見積もり調整の段階でかなり厳しい詰めの作業をしますし、採算ギリギリでやっているところがほとんどといっていいと思います。
 
(高橋修一/建築家)

設計者の重要な役割のひとつとして、この見積もり調整の仕事があります。良い家をつくることと、予算の多さは必ずしも正比例しません。しかし、もちろん、安かろう悪かろうでもいけない。適正な価格を見極めることが、要であり、難しいところでもあります。

そしてギリギリのところでお互いの知恵をしぼっていると、そこから「いいものを造ろう、喜んでもらえる仕事をしよう」という共通の意識が芽生えてきます。この時が来るのを待つのも、設計の楽しみのひとつです。

笠井義文

2007.9.10更新
空間秩序というかたちで考えますと、われわれ日本人にとっては、内が外部よりも上位の空間秩序に属するということだから、やはり、家の中から外を眺めるという景観に対しては、非常に重要性を読み取るということなんです。
 
(芦原義信/建築家)

前回のドイツのお話しでは、「家は外からみんなに見られている」ということでしたが、われわれ日本人にとっては、外よりも内が上位ということのようです。芦原さんは「外部空間の設計」という著書の中で、イタリアの広場や街路は、人々にとって大切な居間であるとも述べられています。それだけ、空間の認識が違うんですね。

最近は、日本人の感覚も西洋化してきましたが、古い温泉旅館などで昔ながらの日本建築に出会うと、渡り廊下や部屋からの眺めに、とても細やかな神経が使われていることに気づかされます。

笠井義文

2007.8.25更新
私どもの事務所に高い設計料を払って設計を依頼してくるお施主さんですら、設計を依頼する要望の第一は「早く安く」で、帰りがけに後ろを振り返って「できたら良いものを」という程度です。    
 
(宮脇 檀/建築家)

この言葉に習ってというわけではありませんが、いつもお施主さんに最初にお話しするのは、この「早く安く」という発想がいかに危険かということです。ほとんどの方がそれを求めているからこそ、あえてそれを否定するお話しをさせてもらいます。

なぜなら、これまでの経験から、家づくりは「早く安く」して、得することはないということを身にしみて知っているから。急ぎ無理して造った家は、後で必ずしっぺ返しがきますし、後悔の種になるのです。

笠井義文

2007.8.10更新
散歩の好きなドイツ人は、歩きながらよその家のたたずまいを観察しています。いったいこの家はどんな人が住んでいるのかしら。歩きながら誰もが自然にそう思うような住まい方、暮らし方。家や窓辺、ガーデン、そしてバルコニーにいたるまで、他人の厳しい目にさらされていることを意識して生活しているのがドイツ人なのです。  
 
(沖 幸子/生活評論家)

ドイツでは、世界的に有名な現代美術の展覧会が二つ開催されていますが、いずれも屋外展示を強く意識したものです。散歩好き、街並みや家のたたずまいに関心の強い国民性ゆえでしょうか。

「人の目」というのは煩わしくもありますが、自らの襟を正してくれたり、大きな過ちに陥らないようにしてくれたりもします。自分の家が、街を歩く人たちに良い印象を与えているかどうか、常にチェックすることも大事なことですね。

笠井義文

2007.7.25更新
施主の似顔絵と同時に、地域の似顔絵、地域性を反映している似顔絵を描く。そのためにはディテールを探し出す必要があります。その人、その地域が持っているディテールを描くことで、いかにも誰某さんの家らしい、どこそこの地域の家らしい、というものができる、そうありたいわけです。  
 
(三井所清典/建築家)

似顔絵は、ただ似せて描くのではなく、その人の特長をやや強調して表現することが大切。その人らしさやその地域らしさというのは、長所にこそ出ているものだからです。それを見抜き、引き出すことが、家づくりにとっても重要な要素となります。

また、それはディテールの中にこそあるとのこと。「ディテールの中に魂が宿る」と言ったのは巨匠ミースですが、その建築哲学を深く学んだ三井所さんならではの言葉ではあります。

笠井義文

2007.7.10更新
昔であればご主人と酒を飲みながら住宅論議をかわしていればよかったけれど、最近は奥さんの意見が圧倒的に強い。子供たちの要求もある。奥さんというのは地についたイメージをもっているんですよ。ダンナというのは理想はもっているけど具体性がない。  
 
(鈴木恂/建築家)

家づくりにあたって、ご主人と奥様の役割分担というのは重要です。家はやはりモノですから、「地についた」考えで、具体的に決めていく作業が必要。しかし、理想がなければ、それは「ただの」モノの集合になってしまいます。

一般に、理想を受け持つのはご主人、具体性を決めるのは奥様という配役が多いようですが、別にそれが逆転してもかまいません。住まい手の理想と現実を、家づくりにうまく取り入れる、お二人の阿吽の呼吸が最も大切です。

笠井義文

2007.6.25更新
音楽を書くときに、まず歌って、次の一番盛り上がるサビのところへ続くジョイント部分があるわけ。そこがすごく、トイレとか階段に似ていると思ったんだよ。しかもそこは一見どうでもよさそうなとこなんだけど、ホントはすごく重要で。  
 
(小田和正/ミュージシャン)

小田さんは、学生の時建築を専攻されています。しかも大学院では、歴史・建築家の藤森照信さんと同期だったとか。小田さんは建築と決別して音楽の道を選ばれたわけですが、とはいえ建築の尾てい骨はまだ少しお持ちのようです。

サビへつながるジョイント部がトイレや階段に似ている、と言われても、ちょっと理解しがたいかもしれません。これを私なりに解釈すると、
  
「トイレや階段は、家の中で主役ではないけれど、主役にとって必要不可欠な脇役であり、全体を構成するための重要な場所。それだけにこれをつくる際には、細心の配慮が必要とされる」となるでしょうか。

笠井義文

2007.6.10更新
ぼくはこの部屋みたいにわりあい単純な部屋を造るんですね。あんまり建築家の方でつくりすぎてしまうと、住むひとなりの趣味を生かして面白く住むことができなくなりますからね。ぼくはそういうふうにつくりますが、いまは逆にこう住むんだと押しつけるのが多いみたいです。そのかわりに、どの家を見ても皆、同じになっています。
   
 
(吉村順三/建築家)

住宅を長く設計している建築家のつくる家は、ふつう、あまり見栄えがしません。新しい素材が使われることもなく、大胆なライフスタイルが提案されるわけでもない。つまり、「押しつけがましく」ないのです。

これは、建築家が家を設計する以前に、住む人たちのことを人間としてどう捉えているか、ということに深く関わるのだろうと思います。人を画一的に見ている人は、一見バラエティに富んだ家を設計しているように見えて、結果的には「皆、同じになって」しまうのでしょうね。

笠井義文

2007.5.25更新
たとえば工事途中の作業を一切見ずにポンと新居に引越ししてきたら、子どもたちはスーパーで売っているものと同じように「家は完成品を買うものだ」と勘違いするだろう。わずかでも家づくりに参画させることによって、大事に使おうという気持ちも湧いてくる。
   
 
(藤原和博/杉並区和田中学校校長)

将来どんなに建設技術が発達しようと、どんなに素晴らしい製品が開発されようとも、家には現場で人が造る部分が残されるでしょう。人が集まって人とともに住むことを続ける限り、これは変わらないことだと思います。

この「完成品を買うものだ」という思い違いが、巻き起こす悲劇は枚挙にいとまがありません。お互いにその過程を知っていれば避けられるトラブルは多く、人と人の心も温かく通い合うのに、人はなぜそれをしないのでしょうか。

笠井義文

2007.5.10更新
住宅っていうのはいろんな人に見せたときに賛否両論があるのがいいんですよ。みんながいいっていう住宅はきっと風化して忘れられてしまう。もちろんみんながダメっていうのは論外として、五分五分の住宅が永く生きながらえるんだと思います。
   
 
(石山修武/建築家)

一般の人に「どんな家に住みたいですか?」と言って間取り図を描いてもらうと、実に「よくできた」ものを描いてくれます。これは、日頃よく目にしている広告や雑誌などから得た情報が、素直にインプットされている証拠でしょうし、それが悪いというわけではありません。

しかし、そこから住まい手の個性は伝わってきませんし、魅力的な家が生まれてくるとも思えません。たとえ非常識であっても、賛否両論があっても、自分のしたいことやアイデアを大切にして、それを実現しようとすることが、家づくりの基本だと思うのです。

笠井義文

2007.4.25更新
その家の主人が家族の誰にも手を触れさせない空間。それは何も、ちゃんとした個室でなくてもいいんです。階段の下でも、物置の中でも机ひとつでもいい。主人の痕跡のある場所ですね。どんな広い家でも、主人のそういう場所がないと精神の発展段階が終っちゃうような気がするでしょう。
   
 
(石井和紘/建築家)

威厳ある父親の存在が希になって久しいですが、それぞれの家で誰が主人かということをもう一度考える必要があるのかもしれません。まさかペットが主人、ということはないと思いますが、世の中にはそれに似た現象もなくはありません。

しかるべき人をその家の主人に据え、その人の痕跡のある場所を造るということは、家族みんなにとっても、精神的な拠り所になるのではないでしょうか。これは家づくりで、これまで忘れられてきたこと(あるいは忘れられようとしていること)の一つだと思います。

笠井義文

2007.4.10更新
エレべーションは本来近隣との関係に責任をもち、節度のある態度でとりくむべきである。エレべーションにかぎらず、一般に物の形は固定した論理でもって、やみくもにつくられるべきもんではない。人間の自由さをいいものとして形に生かしていく努力--責任のある自由--を大切にしたい。
 
(吉村順三/建築家)

エレべーションとは建物の立面、外から見た表情です。住まいは、まず第一にはそこに住む人のものですが、建物が建つことによって影響を与える近隣や、その姿を楽しむ道行く人のものでもあります。

例えば、隣家に無用な影を落とさない、圧迫感を与えない、プライバシーに配慮する、といった基本的なマナーにはじまり、緑やオープンスペースの共有や素材や色をそろえること等々、気を付けなければならない「責任のある自由」な設計手法はたくさんあります。

笠井義文

2007.3.25更新
朝日もいいけどやっぱり慌しい。夕日のほうが落ち着きますよね。一日が終わったっていう感じもあるし、翌日もきちんと生きようという希望をくれる。だから、そういう夕日が美しく入ってくる、夕日に照らされて映える建築は、人間に大きな希望を与えるんじゃないかな。
 
(遠藤勝勧/建築家)

朝日と夕日のどちらに生きる希望を見いだすか、というのには個人差があると思いますが、朝夕の日の光が人の心を動かすのは確か。住宅では普通、窓から明るさや温熱を取り入れることは考えますが、「希望の光」までは、なかなか思いいたりません。

「今日も一日元気で頑張ろう!」「一日お疲れさま、明日も元気で!」朝日や夕日とそんな会話ができる人たちが暮らし、それを美しく取り入れられる家は、とても素敵だと思います。

笠井義文

2007.3.10更新
近所にものすごく広大なお庭を持った平屋のお屋敷があって、いいなぁと通るたびに見とれていたんです。それがあるとき突然マンションに変わってしまって。お庭をたっぷり持っているお屋敷が、いずれ東京の風景から消えていく運命だと思うと、直接私と関係ないですけど、本当に心の底からキューンと悲しくなってしまいます。
 
(緒川たまき/俳優・エッセイスト)

「緑は建物の悪いところをみんな隠してくれる」とある建築家の方が言ってました。僕たちはまず建築や街があって、その付け足しや飾りのように樹木や緑があるように思いがちですが、実は逆なのではないでしょうか。

言われてみるとあたりまえですが、樹木は人間より、住宅なんかよりずっとずっと長生きします。そして起源も古い。むしろそのような樹木に敬意を払いながら、家づくり、街づくりをすることのほうが、素直な人間の行為であり、義務なのだと思います。

笠井義文

2007.2.25更新
住宅でいえば子供部屋は作るべきじゃあない。子供なんていうのは、親がどんなふうに動いているか、そこでどう生活しているのか、お客様が来たときはどこで勉強したらいいか、見て考えればいいわけです。そういうことをしながら社会性を学ばなければいけない。それが家族っていうものですよ。
 
(菊竹清訓/建築家)

菊竹さんの自邸スカイハウスは、戦後の代表的な住宅として今も語り継がれてきているものです。大胆な構造とワンルームのベイシックなプラン。そして、日本の伝統的な手法を巧みに取り入れたデザインなどなど、多くの建築家に影響を与えたものでした。

ご自身のそこでの暮らしも踏まえ、子供部屋はいらないとのこと。きっと、仕事柄来客も多かったこの家で、お子さん達が育っていった様子を好ましくご覧になってのことなのだろうと思います。

笠井義文

2007.2.10更新
既存の住宅の構造的な健全性を診断するときの要点はいくつかあります。まず第一は、住宅がどんな構造で、いつ建てられたかです。二番目は老朽化のていどです。第三が地盤のよしあしです。
 
(坂本 功/東京大学大学院教授)

近く起こるであろうといわれている東南海地震に備えて、既存住宅の耐震診断や改修がすすめられています。そのポイントも大きくは、坂本先生が指摘されている3点によって判断されます。

構造の種別(木造や鉄骨、コンクリート造等)と建設年(どういう設計基準によって建てられたか)が基本になりますが、思いのほか重視されているのが、老朽化と地盤の状況です。建てる場所を吟味し、日頃の手入れに気をつけることが家にとっていかに大切か、ということを教えてくれています。

笠井義文

2007.1.25更新
音楽でも陰と陽があって初めてリズムがとれる。家づくりも同じです。あれもこれもというわけにいかないからこそ、住まいに何を求めるかをはっきりさせ、そこにフォーカスを当てていく。それこそが家づくりの楽しみであり、醍醐味なんだと思います。
 
(松任谷正隆/音楽プロデューサー)

松任谷さんが言われるように、家を音楽にたとえてみるのも面白いですね。みなさんの好きな音楽はどのようなジャンルでしょうか?クラシック、ジャズ、ロック、フォーク、それとも演歌? その他、おびただしい数のジャンルのなかに、これまた無数の曲がありますよね。

良い曲というのは、聴く人を感動させ、永く記憶に留まるものだと言えるでしょう。そして、どのようなジャンルやタイプの曲であれ、それらには共通の特長があるように思われます。僕は、良い曲や良い家に共通する最も重要な要素は、「シンプル&フォーカス」であると考えています。

笠井義文

2007.1.10更新
家はそれがかたちとしてできたときが完成なのではなくて、家族の生活がその中で行われ、そんな生活とともにだんだんと充実し、完成されてゆくものなのでしょう。それには、家を考え、つくってゆく中で、やがて育ち、より場所になる芽を探したり、植えたりするような気持ちがたいせつなことなのではないかとぼくは考えています。
 
(益子義弘/建築家)

家づくりの後には、家そだてが始まります。よく、「親はなくても子は育つ」と言われますが、住まい手なくては家は育ちません。これは、住み手がいなくなった家がすぐに廃屋になってしまうのを見ても分かります。

子育て(家そだて)には何が必要か。もちろん親(住まい手)の愛情が不可欠であることは言うまでもありません。みんなに祝福されて生まれてきた家が、住まい手の愛情ですくすく育ち、芽を出し、花を咲かせて、みんなの心を幸せにする。家づくりは、そういう「家そだて」が終わって、初めて完成するものだと思います。

笠井義文

2006.12.25更新
下町の貧しい人々は、年の暮れがやって来ると、どのようにむりをしても畳を新しく替え、障子を貼り替えた。母などは着物を質に入れても、そうした。・・・小さな家にたちこめる香りは、また何ともいえず清すがしい。新年は、こうしてやって来る。
 
(池波正太郎/作家)

正月の風景も、最近ではずいぶんと変わりました。三が日もいつもと変わらずお店は営業しています。いつもと同じように、なに不自由なく暮らせるのは、便利なようでいて少し寂しさも感じます。お正月ぐらいはゆったりと日本の良さを味わいたいですね。

どのような家でも、かつては畳を替え障子を貼り替えてお正月を迎えた。日本人のこの住まいや暮らしに対する凛とした姿勢が「何ともいえず清すがしい」です。そしてそこに、新しい年がやってくる。日本人としての誇りは、このようなところから生まれてくるもの、なのかもしれません。

笠井義文

2006.12.10更新
今の若い建築家はいろいろと理屈を付けて好き勝手にやっているけど、あんなことする必要ないと思うんだけどね。新しいってことと物珍しいってことが、ごっちゃにになっているんだ。自分が目立つことばかり考えていて景観なんて考えていないんだ。
 
(吉村順三/建築家)

物珍しいけど特に新しい提案があるわけではない。目立っているけど、単に周りの家と反対のことをしているだけ、という建物が、若い建築家の作るものの中には多いのではないか、というご指摘です。

町を歩いていてまれに、しっとりとしたたたずまいの家に出くわすことがあります。それは建物の色や形、仕上の材料がどうこうというのではなく、庭の緑や周りの風景も含めたその場全体から醸し出されている雰囲気です。家のたたずまいは、そこに住まわれている方のお人柄を、正直に表すものであるような気がします。

笠井義文

2006.11.25更新
私は皆さんに申し上げたいのです。家づくりに失敗しないための方法や、ダマされないための方法を書いた万巻の書物を読むよりは、設計者や職人たちとどのように信頼関係を気づいていくかを学ぶことのほうがはるかに大事であると。
 
(高橋修一/建築家)

これは何度でも繰り返し強調したいことですが、やはり良い家とは、「人と人との信頼関係の中でつくられ、永く育まれ愛されていくもの」であると思います。
   
そしてそのためには、プロは誠実に自分のするべきことをこなし、住まい手は真剣に自分や家族のことを考える。これが前提です。そしてその先に、家づくりをとおして人と人とが共に分かち合える楽しみや喜びがある。それが、家づくりの最低の目標、また究極の理想でもあると思います。

笠井義文

2006.11.10更新
今できた家がこれから二百年たってまだぴんぴんしていたとしたら、さてどうだろう。耳もきこえず、目もみえず、しかし、体だけは頑丈で、頭はぼけてしまった頑固な老人のように、邪魔になっても何もプラスもない存在と化するのではあるまいか。
 
(清水一/建築家・評論家)

これはけっして古いものをないがしろにしろ、という話ではありません。今から二百年前といえば江戸時代後期。その頃の住宅が今も使われていいるとすれば、それは少なからず特殊なもの、として目に映るはずです。

一般の方とお話ししていると、「耐用年数の幻想」にはしばしば出会います。良い家は長持ちする→長持ちする家は良い家である→家は長持ちするほど良い、という考え方です。二百年、三百年持つ家をつくることは不可能ではありませんが、それをつくる意味まで十分に考えておかないと、今つくろうとしている自分たちの家を、見誤ることになります。

笠井義文

2006.10.25更新
いつも一番心がけたいと思っていることは、自分がほんとうに好きになれる建物の設計をしたいということです。思ったことを文章でスラスラ書けるようになるためには、手を動かして何回も何回も文章を書いていかないといけない。・・建築をつくることも同じことだと思っています。
 
(團紀彦/建築家)

先日たまたま地元で團紀彦さんの公演を聞く機会がありました。内容は「建築視点から見た名画」、古今東西の名画と建築との関わりがテーマでした。またその中で、ご自分の尊敬する建築家のことなどもお話しされていました。

一流の建築家は、建築と同じくらいに建築家に興味を持っています。ですから自分が憧れ、目標とする建築家の生き方についても、詳細に調べます。それを真似ることから、自分のほんとうに好きな建築を創り出す作業が始まるのです。   

笠井義文

2006.10.10更新
住宅をうまく機能させるためのやりくりが美的な創意にまさってしまったら、それはもう建築ではない。それは、ただ有用な部分の寄せ集めにすぎない。
 
(フィリップ・ジョンソン/建築家)

便利や快適を求めるのは人の常ですが、不便を楽しめるのもまた人の良さではないでしょうか。そして、いろんなものを「美しい」と思える心を持っているのも、他の動物たちと違うところでしょう。

機能だけ、美しいだけ、の住宅はありません。建築家は、常にこの機能と美の間を行き来している存在であるともいえます。ただ、大切なことは、それが独り相撲で、住まい手の意識(使いやすさと美しさのバランス)とかけ離れてはいけないということだと思います。

笠井義文