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家づくりの名言
2006.9.25更新
一つの家には、平常の場合、かならず老人がい、夫婦がい、子供がいた。老人のいない家は「家」ともおもわれなかった。老人がいないと、衣食住の基本が若い女たちへつたえられない、おぼえられないからであり、おぼれられなくては日々の暮らしに女自身が困るのであった。
 
(池波正太郎・作家)

池波さんは大正12年浅草生まれ。その頃の下町の情緒や日々の暮らしについて、いろいろとエッセイに書かれています。老人のいない家は、家ではない。この言葉は印象的です。

日本はこのままだと、老人だけが住む家ばかりになりそうですが、それはさておき、日本の衣食住の文化を伝えていくうえで、高齢者が果たす役割は、これから更に増していくでしょう。そして、若者と高齢者が共に暮らすことの大切さも、もっと強調されるようになるのではないでしょうか。

笠井義文

2006.9.10更新
一軒の家としての統一感、連続感という点では、仕上げの種類は少なければ少ないほどいいと思う。仕上げ材としてベニヤやプラスターボードを好んで使うのは、経済的な理由にもよるが、何よりも素材自身が主張しない素っ気なさにある。
 
(永田昌民・建築家)

住宅には、屋根、外壁、内壁、床、天井などのいろいろな部位があり、その仕上材料に求められる性能や美しさは各々違います。しかし、住宅を一つの家として見た場合、全体としての統一感や連続感は大切な要素です。

我々は仕事柄、これまでたくさんの仕上材料も見てきているし、その良いところ、悪いところも知っていて、ある種の免疫(抗体)のようなものがありますが、住まい手は一般にそういうことについて無防備です。仕上の種類を少なくするというのは、ひとつの有効な手段ですね。

笠井義文

2006.8.25更新
子供たちが皆それぞれ独立して、じいさん、ばあさんだけになって、お手伝いさんもいないようになったら、そのときはどうすればよいか、いろいろ検討した末に私たちが出した結論は『デパートの隣のマンションに住むことだ』ということになった。
 
(邱 永漢/作家)

邱永漢さんは、未来の予測が当たることと、思い立ったらすぐ行動に起こすことに関してはとても有名な方。マイホームのことに関しても、税金や資産のことも含め、これまでいろいろと言及されています。ちなみにこの言葉は、40年以上も前のもの。

住宅は将来を見越して建てるものですが、その将来がどういうものになるかは誰にも分かりません。しかし、その中で家族にとって不変なものは何か、何を拠りどころに暮らしていきたいのか、をよく考え、そして決めることが、家づくりのとても大切な基本作業になります。

笠井義文

2006.8.10更新
建築家にとって、昔はローマに旅行して建築を勉強するという伝統がありました。しかし、現代建築が日本の建築から相当の影響を受けて出発していますので、現在では日本を旅行することが、建築家にとって大事なことになっています。
 
(ジャン・ヌーベル/建築家)

世界の近代建築の巨匠といわれている建築家も、日本文化から多くの影響を受けながら自分たちのスタイルを創り上げました。現代の、世界中の若い建築家たちもまた、日本の建築を学んでいます。

わたしたちは、自国がそのような誇らしい建築文化を持っているということを、あまり知りません。住まいの中にもこの伝統や精神はたくさん残っています。それらを後世に受け継いでいくことも、大事なことですね。

笠井義文

2006.7.25更新
住宅の本質は、人間が本来的にもつ不安や孤独、おびえなどをごまかしてくれる舞台装置のようなものなんですね。居心地のよさというのは、つまりその装置の機能のことなんです。
 
(渡辺武信/建築家)

住宅は、自分や家族の身を守ることから始まっています。つまり、安全、安心は家づくりの基本中の基本ということですが、そのことは日頃、あまり意識されることはありません。ところが、一旦大きな災害や不祥事などで不安が露呈されると、人はパニック状態に陥ることになります。

それだけに、住宅の快適な居住性は、確実な安全性に裏付けれたものでなければならず、専門家はこのことを、住まい手に意識させることなく、常に実行するものであるべきなのです。

笠井義文

2006.7.10更新
「簡単に出来る増改築」だの「手軽な増築プラン集」といったような記事がよく雑誌に出ているけれど、嘘つきやがれである。「簡単に出来る」のはあくまで容器の話であって、容器の中には生き物が住んでいることを忘れてもらっちゃ困る。
 
(江國滋/エッセイスト)

実は容器の方もそう「簡単に」できるものではないのですが、それはさておき、これは江國さんのおっしゃるとおり。我々が増改築で一番気をつけていることは、そこにこれまで住んできた人、そしてこれからも住み続ける人のことです。

長年住んできた家に対する思い、それから工事中の心労や負担、環境が変わることへの期待と不安などなど。増改築には「善」ということで簡単に片付けられないことがたくさんあります。

笠井義文

2006.6.25更新
僕はテントというか、仮設性というのが好きなんです。つまり風呂敷のようなイメージの家ですね。風呂敷というのは、それ自体はひとつの布だけれども、中身によって形が変わる。家も同じで、その中での行為があって家になる。
 
(伊東豊雄/建築家)

風呂敷は、その機能的な汎用性やコンパクトな携帯性に加えて、そのもの自身の美しさや経済性などから、非常に優れた日本文化の象徴であると言われています。この風呂敷の思想を、住宅に生かすということも、おおいに考えたいところです。

家はその中での行為があってこそ家になる。家は、住む人が形づくるものである。家をつくる側は、風呂敷のような優れた素材と利便性を自在に使って家族の生活を包み込む。つまり、初めに家ありき、ではないということですね。

笠井義文

2006.6.10更新
これは伝統的な定石の一つで、日本の住宅ではメインの部屋は庭を持たないと成立しないんです。その部屋というのは伝統的にお座敷なんですけど、お座敷が三つあるお屋敷だだったらお庭も三つなければいけない。庭は外部空間として一見つながっているんだけど、この座敷の庭、この座敷の庭っていうのが必ず用意されているんです。
 
(鈴木博之/建築史家)

いくつかの部屋が一つの庭に向かっている。ただ、視線や角度、開口部の形などがそれぞれ違うために、各々の部屋からは異なったシーンが楽しめる。しかも、その庭が一つにつながっていることで、その場を共有しているという心理的な安心感もある。

このような演出が、古くからの日本建築の定石だったわけです。でもこれは、特にお座敷をもつような大邸宅でなくてもできることです。小さな庭でも、いろんな方向から眺めてみると、まったく違った姿を見せてくれます。

笠井義文

2006.5.25更新
ビルの谷間に暮らして気持ちいいという人はあまりいませんね。海辺か山か植物がたくさんあるようなところで過ごすのが、一番いい。そのためには、建物はその自然に逆らわず、順応するような住まいが作れたらいいな、と思うんです。
 
(石井 修/建築家)

よく「樹木は人間がいなくても生きていけるが、人間は樹木がないと生きていけない」と言われます。しかし人間の行為は、多くの場合、その貴重な樹木をなくす方向にむかっているようです。

家づくりもそのひとつに数えられるかもしれません。庭をつくり草木を育てることがその免罪符になるとは思いませんが、自然に感謝し、自然を尊ぶ心を忘れないようにするためには、家づくりに欠かせない大切な要素と言えるのではないでしょうか。

笠井義文

2006.5.10更新
なんでもしなければいい建築家にはなれない。かつて北大路魯山人が「料理もできる」人間であったように、建築家とは「建築もできる」人間でなければならないのです。
 
(出江 寛/建築家)

出江さんは、「建築屋」=ものを売っている人、「建築士」=技術を売っている人、「建築家」=心にかかわるものをつくる人、という区別をされています。

さすがに魯山人を持ち出されると、たいていの「建築家」はたじろいいでしまうでしょうが、モノや技術を売るだけでなく、心にかかわるものをつくろうと心掛けることはできますよね。良識をもった誠実な、「建築ができる」つくり手でありたいものです。

笠井義文

2006.4.25更新
中位でもバランスをとって横に広がりをもつような材料にもよさがある、という新しい横割り式の評価システムが採用されないかぎり、木材などという材料のよさは浮かびあがってこない。そのことは人間の評価方法のむずかしさと似ているのではないか。
 
(小原二郎・建築学者/人間工学)

「どこがいいって聞かれると困るんだけど、取り立ててここがスゴイっいうものはないんだ、欠陥もあるしさ。でもなんとなく暖かくって、気負いがなくって、やさしくって、なにか癒されるんだよねぇ。しいて言うと、バランスの良さっていうのかなぁ。自然体の中に、そこはかとない個性がにじみ出てるっつうか、、、そんな感じなんだよねぇ」

あなたって木材のような人ね、と言われると、ケッコウ嬉しいかも。

笠井義文

2006.4.10更新
担当のK記者にこの深山幽谷をみせると、「なんだ。田舎の安料理屋の庭みたいですなア」と吐き出すように言った。ああ、風流を解さぬ者はあわれである。わが高尚なる趣味と境地を理解せぬ者は悲しい。しかし私はこの池によって毎日、心たのしみ、心慰められているのだ。
                 
 
(遠藤周作・作家)
家は基本的にそこに住む人のためにあるもの。だから何をしてもいいという訳ではありませんが、人には解せない価値観を一人楽しむのもよし、また、たまに友人を招いて自分のセンスの良さ?を強要するもよし。

家づくりの楽しみは、「趣味が高じること」というか「節度のある悪ノリ」なのかもしれません。でもそれは、やはりその人の情熱があってのこと。わが高尚なる風流をぜひ追い求めてほしいと思います。 

笠井義文

2006.3.25更新
建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感ぜられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
 
(吉村順三・建築家)
吉村順三さんは、360坪の大邸宅から16坪の小住宅まで、同じエネルギーを投入して設計された建築家です。この言葉のなかに、その思いが込められているように思います。

家をつくっている人の中に、この言葉を否定する人は、いないでしょう。しかし現実には、それがかなえられていないことも、多々あるようです。住宅とは、そこで生活をする人たちの「幸せ」をつつむもの。そのことを、いつも心にとめて、家づくりをしていきたいと思います。

笠井義文

2006.3.10更新
よのなか一般に「食」に通じている人を、「食通」とか「グルメ」といいます。「ファッション通」もいますし、なにかと業界の裏情報に詳しい人を「消息通」とか「情報通」と呼んだりもします。でも、「衣食住」の中で、「住生活」だけに、「通」の世界がありません。
 
(藤原和博・杉並区和田中学校校長)
言われてみるとそのとおりですね。今の住宅の世界には「評論家」という人はいても「通」という人は見あたりません。ただ、昔は日本にも住まいの「通」がたくさんいました。

文人や茶人、芸術家などに多かったようですが、老舗の旦那や横町のご隠居といった粋人の中にも「通」がたくさんいました。それから、忘れてならないのは、「主婦」の多くが、住まいの使い方や手入れなどを熟知した住まい通」だったということですよね。

笠井義文

2006.2.25更新
もはやロマンチックな雰囲気をもった、かつての窓の概念は、通用しなくなっているようだ。恋人の姿が現れたり、港が見えたりするような窓は、いまどき、どこを探しても見つからないにちがいない。
 
 
(澁澤龍彦・フランス文学者)
窓というのは、住んでいる人だけが使ったり外を眺めたりするものだと思われがちですが、例えば、道行く人にとっても、特別な感慨を持って見られるものだったりするんですね。

機能を無視した形だけのものはいただけませんが、物語が生まれそうな、人の心を動かすロマンチックな窓は、ぜひ住宅の中に取り入れてみたいものの一つです。

笠井義文

2006.2.10更新
これからも二年に一度は引っ越すと思います。家族は面倒だって嫌がってますけどね。それぞれが好きなことをして、どこかでちゃんと繋がっているという家族であれば、いいと思うんですよ。
 
(谷村新司・歌手)

谷村さんは引っ越し魔、だそうです。先日会った同い年の友人は、今度生まれて初めて引っ越しをする、と言っていました。僕はいままで4回引っ越しています。人それぞれですね。

多くの場合、家を建てると、別の所からそこへ引っ越すことになります。そして普通はそこに長く居着きますが、子供たちは早晩そこから引っ越していくことになりますよね。家は、家族を繋ぎとめておくところではなく、家族を育て、巣立たせていくところなんですね。

笠井義文