また、そのような空間は、持つ人の年齢によっても違ったものになるようです。「自分の命の使い方」などと言われると、ちょっと大袈裟に聞こえますが、それが実感として感じられる年代というのもあるんですね。
住宅ももちろん歴史と伝統の産物。「丸や三角がところかまわず出てくる堅い頭」の持ち主である我々には、先人の知恵に学ぶ謙虚な心が、もっともっと大切のようです。
部屋の広さ、明るさ、暗さ、そこから見える外の様子、ソファの調子、タタミの感触、身の回りの物、家族との距離感などなど、いろんな要素が自分の「ここちよさ」に関わっていることが分かるはずです。例えばそれを新しくつくり出すこと、それが設計なんですね。
自分や家族がそこにいて、喜々として主役でいられるところ。それがその人にとっての美しい空間なのでしょう。まず、住まい手に夢を語ってもらうこと。そして、それを具体化すること。これが建築家の仕事なんですね。
あれから四半世紀。いろんな家族やその人達が住む家を見てきて、家と家族の間には、やはりそれぞれの物語があるのだということをあらためて実感しています。家族の思いを刻む家。家族の暮らしを見守り続ける家。そういう家をつくりたいですよね。
ただ、流行りには一過性のものと、本質的なものとがあります。初めは奇抜でも、徐々に洗練されながら永くつくり続けられるようなものは、本物なのでしょう。日本人にとっての白木は、きっとそのようなものにあたるのではないでしょうか。
男、男というと何か叱られそうなこの頃ですが、家の中に、なごやかながらも規律や威厳のあることは決して悪いことではないことでしょう。そして、それを実現するためにはまず、お父さんが「ひとりになれる場所」を確保することが必要なのかもしれません。
しかし、住宅の中に茶室そのものはなくても、いろんな場所で茶室が持つ特性を活かすことは可能です。例えばそれは、ホールだったり、客間だったり、書斎だったり、個室だったり、中庭だったり・・・。
みなさんの中には、2005年が「家づくり元年」になられる方もおられるでしょう。是非、ワクワクと息をはずませながら、家づくりを楽しむ良いお年に、していただきたいと思います。
ただ、それを可能にするには2つの条件があります。ひとつは、建物が永年の使用に耐える強固で安全で信頼のおけるものであること。そしてもうひとつは、住まい手が愛着をもって手入れを怠らないということです。前者はつくる側、後者は住む側の責務ですね。
そこで生活してきた人々の重み。それを大切にする心から、良い建物が生まれ、それを使い、残し、次の家族につなげていく。現在では、何百年も残る家をつくることはもはや不可能でしょうが、せめてこの心は残したいですね。
自然の香り、趣味の装置、実用をこえた実用品、エコソーラーそして愛する家族。もし家をつくるのであれば、夢とそれを叶えるために不可欠なものものを揃えることが、大切なのであります〜。
僕たちは「人の振りみて」というのに慣れてしまい、どうしても人と同じ価値観を持とうとします。でも、自分には何の価値もない他人の価値を、ちゃんと認める人がホントに自由を愛している人なんだろうと思います。人とは違った、人から共感されるような家づくりをしたいですね。
僕たちの小さな頃は、まだ住宅内に独立した個室の少ない時期でした。たしかに年頃になると、プライバシーが欲しいと強く思うようにはなりました。しかし、生活時間をずらすことや、聞かない、見ないようにするといった心遣いで、家族同士のプライバシーは確保してきたのです。
最近、公共の場で目にあまる振る舞いをする子供をよく見かけます(これは子供に限りませんが)。もしかすると、独立した部屋をつくり過ぎたことが、その原因のひとつなのかもしれません。