昨年亡くなられた山本夏彦さんの言葉です。この名コラムニストは建築界にも多大なる影響を与えた人でした。「外側から」ばかり見られている建築を「内側から」見るために「室内」を自ら編集発行されました。
最近は、「和を楽しむ」ということも言われていますが、一昔まえは、新進の建築家にとって「和を嫌う」ことが普通だったんですね。氏は終始一貫、「古き良きものはそのままでいいのだ」ということを言い続けられた方でした。
木造の家が省エネであるという理由には、次のようなことがあげられます。 1.生産や加工に多くのエネルギーがかからない 2.断熱保温性能が高い 3.表面温度が高く暖かい 4.再利用できる 5.土にかえる 等々。 「焼いては建て、建てては焼いて」というのは、人間のバイタリティであると同時に、自然と共生しながら家づくりをする先人の知恵だったんですね。
我々の小さい頃は、大掃除は大きなイベントでした。障子を張り替え、畳を上げて、ガラスを拭き、家の隅々まで一年の埃をとり綺麗にする。また、痛んだり、古くなった部品などもその際に取り替えました。これは、家の定期健康診断であったし、家と住人たちが触 れ合い、語り合う行事でもあったんですね。今は「けじめ」とともに、そういう家との関わりも少なくなってしまいました。
宮脇さんの「あなたは家族がデレデレできる家をつくっていますか」という言葉が忘れられません。家は家族のためにある。家族がいるから家を造る。そこにはいろんな家族の本音や建て前が同居する。悲こもごもがある。そしてそんな中で、家族は、デレデレする。
この言葉を聞いて以来、住宅を設計するときには必ず、そのご家族が「デレデレしている」風景を思い浮かべるようにしています。
(伊藤ていじ・建築歴史家)
さらに伊藤ていじさんは、「建設のために民家をこわしてよいとする者は、人間の努力にたいする軽蔑であると同時に、それは自らの努力が後世の人たちからの侮蔑を招きかねないほど怠慢であることを予想させるものであり、自らの現在の努力への誠実さを疑わせるものである」と言われています。
ちょっと固い話になりましたが、この40年以上も前の言葉が、昨今の何でもありの増改築工事(テレビ番組に登場するような)に、警鐘を鳴らしていると感じるのは私だけでしょうか。
家族の歳を足していくと、必要な家の面積が出るという考え方。これは一見乱暴なようにみえて案外合理的なのかもしれません。子供は大きくなるほど専有面積が増える。大人は歳を重ねるほど持ち物も多くなる。そして、家族が減ったり増えたりすると、それにつれて必要な面積も変化する。
となると、伸び縮みする家が理想の家ということになりそうですが、増築や模様替え、用途変更などは、この考え方を実行していることになるのでしょうね。
敷地1500坪、36部屋の大豪邸。一見我々とは関係のない世界の家づくり。しかしサブちゃんは言います。「裸一貫で北海道の田舎から出てきた。だけど、人間やる気になりゃあ、ここまでできるんだという証明として、俺、建てたんだよ」と。
建てられる住宅がどのようなものであれ、自分の甲斐性としての家づくりに誇りを持つこと。そしてそれを周り人が心から祝福すること。これも、現代の家づくりで忘れられようとしていることのひとつだと思います。
建築家の長谷川逸子さんは、小住宅ばかりを専門に設計されているわけではありませんが、この言葉はまさに小住宅というものの核心をつかれていると思います。
光。風。自然。がらんどう。変化への対応。これらが小住宅を創るうえでのキーワードです。そしてそれに加えて、住まい手の自由でシンプルなライフスタイルが、その家をイキイキとしたものにしてくれるでしょう。
僕たちが若い頃に憧れたファッションの創始者である石津謙介氏は、世界中のファッションを知り、日本のスタイルを創り、常に第一線で活躍されてこられた方です。
服は色や柄や型や、流行だのおしゃれだのファッションだの、そんな次元で着られるのではなく、その人の生活の中でどんな役割をもっているのか、で考えられるべきだ、という氏の言葉は、住まいについてもそのままあてはまりますよね。
リンボー先生は、自ら家についての本を書かれるほど、家に関心や知識をお持ちの方。家の良し悪しや自分の好みを熟知した上で、結局家づくりというのは「理想」から始まるのだ、と言われています。 借りものや単なる思いつきの「理想」はいただけませんが、「自分の家に理想を持つ」ということは、自分の生活や人生に理想を持つということ。やはりとても大切なことです。
加賀さんの場合は、持ち家ではなく借家での話のようですが、家を持つことが最終目標ではなく、常に次の新しいものを求めるということでは、我々の家づくりにもあてはまることだと思います。
家を「買う」のであれば、「買っておしまい」という感じですが、家を「造る」のであれば、「家を造り続ける」「よりよい生活を求め続ける」ことが可能になるのでしょうね。
世界的なデフレやグローバル化が避けられないこれからの時代。その中で、ある種の「日本らしさ」を住まいづくりのなかで考えるとしたら、「あの頃にもどろう」ということなのかもしれません。「狭いながらも楽しい我が家」「お金はないけど豊かな家づくり」が本当に求められているのは、今なのでしょう。
ベルリン生まれ、父はスウェーデン人画家、母は日本人ピアニスト。テレビのドキュメンタリー番組で見たフジ子さんの家は、「和風」というものとはほど遠いように思われましたが、自然と日本家屋が音でつながっているという感性はやはり日本人、そしてまさに音楽家のものですね。もう一度家のまわりで耳をすますと、われわれにも日本家屋の良さが再発見できるかもしれません。