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家づくりの名言

 
 
 
古今東西の建築家や著名人の、住まいについての金言名言をご紹介しています。短い言葉のなかに、みなさんに役立つ家づくりの神髄やヒントが、きっとあると思います。(担当:笠井義文)
 
 
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2011  
2011.8.25 中山繁信/建築家
2011.8.10 小松左京/作家
2011.7.25 石井和紘/建築家
2011.7.10 阿久 悠/作家・作詞家
2011.6.25 由紀さおり/歌手
2011.6.10 葛西 潔/建築家
2011.5.25 葉 祥栄/建築家
2011.5.10 石田信男/建築家
2011.4.25 邱永漢/作家
2011.4.10 司馬遼太郎/作家
2011.3.25 高須賀晋/建築家
2011.3.10 小椋 佳/作詞・作曲家
2011.2.25 芦原義信/建築家
2011.2.10 室伏次郎/建築家
2011.1.25 永田昌民/建築家
2011.1.10 吉村順三/建築家


2011.8.25更新
「失敗しない住宅の裏技」「ローコスト住宅」「狭くても広く住める家」などなど、住宅についての「おいしい裏技的」ハウ・ツウ物が世間でもてはやされている。そうした聞こえの良い話に心が揺れるのは人情というものだが、世の中にそううまい話は転がっていない。設計のやりくりで、解決できることは少なくないが、手品のように、狭い家を広い家に変えることはできない。しかし、狭い家を広々と上手に住む方法はたくさんある。
 
(中山繁信/建築家)

家をつくる側の人間として一番うれしいのは、家ができたあと「上手に」住んでくれている姿を見ることができた時である。つくる側は、そこに住む人たちのことを考え一所懸命に家をつくる。しかしそれはあくまでもモノであり、モノであるがゆえの制限や限界もある。

そのモノに命をあたえてくれるのは住まい手であり、極端に言えば、それを生かすも殺すも住まい手次第である。それだけに、予想以上に「上手に」住んでくれることはつくり手冥利につきる。われわれが家づくりに少しでも関心を持ってもらうように時間をかけいろんな話をしたり、家に愛着を感じてもらうように細々と腐心するのは、そういうところにある。

笠井義文

2011.8.10更新
ゆたかになって、ますます忙しくなるにせよ、余暇をもてあますせよ、人生の価値、効率が問題になりはじめ、そうなったあかつきには、「一流の娯楽、一流の美的、教育的情報」に、レクリエーションにおいて、またリラックス・タイムにおいてもいつも接触ができる、ということの価値が、きわめて大きくなるにちがいありません。
 
(小松左京/作家)

41年前、まだ都市や住宅や人々の暮らしががどこへ向かうのか、混沌とした、しかし熱気に溢れた高度成長期に書かれたものです。小松さんは日本のSF界をブルトーザーで拓いたといわれた豪腕作家。時代を読むことも的確でした。

なってみればあたりまえの事ですが、何十年も前にそれを予見することは大変なこと。しかし将来を見越して「いま」の家づくりをしなければいけないのも確か。数十年先にその家が、命を失ってしまわないように。

笠井義文

2011.7.25更新
食は翌日になれば食べられなくなるし、衣は、どんなに気に入ったものでも5年か10年かたって袖を通すと、なんとなくおかしい。住というのは30年からあるいは60年のつきあいになる。家というのは住んでいるうちに、その家や人生の記憶が蓄積し、それがその人のライフスパンと重なりあうものです。その人の人生のストーリーを描いて、自ら演出できる家というのがいいですね。
 
(石井和紘/建築家)

我が家も建てて30年になります。紺屋の白袴。家自身にはほとんど手をいれることなく今日に至っていますが、家族は減りライフスタイルも変わってきました。変わる家具、変わらぬ家具。変わる庭木、変わらぬ庭木。さまざまです。

しかしそこには家族の記憶や人生の記憶が蓄積しています。これからはこの家も人生の後半にはいります。少しずつ手を入れながら、若い頃にはできなかった付き合いをしていこうと思います。

笠井義文

2011.7.10更新
僕にとって「まち」は二つあって、夜も明るいのが「街」で、薄暗いのが「町」なんです。そういう意味では、東京には下町や山の手の別なく、町と街の両方が共存していましたね。今の東京は全部街だな。
 
(阿久 悠/作家・作詞家)

昭和の名曲を数多く残してくれた偉大な作詞家、阿久さんの名言です。街と町。私自身もなにげなく使い分けていますが、言われてみるとそのとおり。街づくりと書くとなにか明るいイメージが先行しますが、町づくりとなると暗い部分も含めた感があります。

「節電も悪くない。街に夜が帰ってきた」と言った人がいましたが、住まいにも薄暗さや闇が必要だと思います。暗さがあっての明かり、闇があっての光です。節電を機会に、住まいの中の明暗をもう一度見直してみるのもいいのかもしれません。

笠井義文

2011.6.25更新
それまでの私は家にしたって、眠れるベッドと仕事の支度ができる部屋さえあればいいという風だったんですけど、その人と逢ってからは、骨董にしても食べる物にしても、生活を楽しむことを学んだと思うんです。
 
(由紀さおり/歌手)

今あるものが一夜にしてなくなること。今ある生活が突如として変わってしまうこと。これは日頃なかなか想像し難いことですが、実際にありうるのだということを私たちは知らされました。

だからこそ今、まず生活があっての住宅であり、モノであること。生活を楽しむ人たちのために、住宅やモノがあることを確認し、大切にしたいと思います。わたしたちには、限りない選択肢と創造力があるということを信じて。

笠井義文

2011.6.10更新
建築家は、施主の生活の可能性を狭めてはいけません。多様な生活ができる場を提供しなければ。自由度の高い空間があれば、施主はその中で個性的な生活を演出するようになるでしょう。施主はさまざまな要求をします。でもそれは一時的なものが多いんです。生活はどんどん変わっていきます。それに対応できる自由度の高い住宅を作ってあげられれば。
 
(葛西 潔/建築家)

ものを豊かに使う。これは使う側の知恵や美意識が勝負。例えば料理をどのような器に盛るかを考えるとき、美味しく見えるのはもちろん、季節や時間、天候、食卓を囲むメンバー、インテリアなどなどに無意識に気を配っているはず。

住まいの空間を使いこなすのも同じ。日々変わらないもの、日々変わるもの、時には変えたいものなどを組み合わせながら人は暮らしています。その主体はもちろん家族です。家族の暮らしを料理に例えれば、器は住宅。豊かに、多彩に、その料理を盛りつける器は、どのようなものがいいですか。  

笠井義文

2011.5.25更新
春には桜、初夏には新緑、夏は木々の緑が暑さをさえぎってくれますし、秋には紅葉、冬になると葉が落ちてしまいますから、日差しがたっぷりと入ります。変化をガラスを通して見ることができるから、飽きることがないんですね。
 
(葉 祥栄/建築家)

葉さんはガラスを大胆に住宅に取り入れた先駆者です。海外には「ガラスの家」といわれる名作がありますが、それは厳密にいうと住宅ではなくゲストハウス。毎日暮らす家をガラス張りにするにはかなり勇気がいります。

プライバシーの問題、雨漏りの処理、冷暖房の効率。どれをとっても難題が控えています。しかし、それらを全部抑えても四季の変化を楽しむことに軍配をあげる。そんな家づくりも素敵ですね。

笠井義文

2011.5.10更新
建築というのは、基本的には消費なんですね。それは避けられないとして、いかに消費をおさえることができるかが大切なんです。ところが建築家には表現に走り、どんどん使い捨てて、どんどん作り替えていく人が多い。地球環境を考えた建築ということを考える時代だと思います。
 
(石田信男/建築家)

自分の住んでいる街を見渡すと、50年前、自分の幼いころにあった建物がほとんどないことに気づきます。ということは、いま目の前に建ってる建物は、50年前にはなかったものばかり。焼け野原から20年で東京オリンピックを開催した国ですから、当然のことかもしれません。

しかし、まだ十二分に使える建物を機能と経済的な論理でどんどん壊してしまったり、緑の生い茂る広大な庭をアスファルトの駐車場にしてしまったりすることは、これから見直さなければならないことでしょう。まずカイ(住宅)よりはじめたいものです。

笠井義文

2011.4.25更新
もはや土地の値上がりに気をとられることがなくなったのですから、新しいマイホームづくりは仕事のしやすさを中心に考えるべきです。コンビニだって便利さと時間の節約で勝負をしているのです。もし自分の考え方が変わったり、職場や社会的地位に変化が起こったら、そのときはまた、そのときのことです。
 
(邱永漢/作家)

邱さんは今回の震災のことに触れ、これは「天命」なのかもしれないと言われています。「一番悪い時が、一番のチャンスと考えを改めていいのではないでしょうか」「天から思い切りのチャンスをあたえられたと考えるべきではないでしょうか」とも。

家は人の暮らしを支えるものではありますが、人を縛るものではないはずです。被災されて家をなくされた方の悲しみは想像を絶しますが、新天地で職場や生きがいを見つけ、新らたに暮らしを始めるということも素晴らしいことのように思います。そこには、きっと、また違う家づくりの楽しみ、も待っているはずですから。

笠井義文

2011.4.10更新
書庫が大混乱した、ということを、右の夕刊で知りました。谷澤さんにとって、
いのちを掻きまわされたようなものでしょう。あらかたひとに整理を頼もうとも、ご自身が、一冊のこらず手にとって衆星のいるべき場所に収めねば、どうにもならないでしょう。これは体を痛めると思いました。寒中です。谷澤さんの精神にさえゆるせば、いったんは他の人々に容れてもらって、掃除をしてもらって、春到来とともに気永にされてはどうでしょう。そのことのみ、気にかかります。体がこわばり、血液が循環しにくくなると、ろくなことはありません。
 
(司馬遼太郎/作家)

阪神淡路大震災のとき、新聞の記事をみて谷沢永一さんのところへ送られた速達の文章です。谷沢さんは稀代の蔵書家でもあり、個人としては恐らく日本1、2の10万冊を越す書庫を持たれていました(今年3月8日にご逝去)。

これに対して「つくづく身にあまる、至れり尽くせりのご配慮である。拳拳服膺して対策を講じた。」と記されています。この教訓は、いま真っ直中におられる東北地方太平洋沖地震で被害にあわれたみなさん、そしてわれわれの心得としても、たいへん有益なものであると思われます。

笠井義文

2011.3.25更新
構造は木造の平屋を基本としています。建築はその土地で採れる素材で造る、というのが基本。日本は木の国ですから木を使ったほうがいい、という考えです。
 
(高須賀晋/建築家)

この度の震災の悲惨な状況を見ていますと、建築を創る人間として強い無力感を感じます。しかしながら、人の暮らしを支えているのもまた建築なのだという思いと、それに関わる使命感も沸き上がります。

住まいをハード面からみると、やはりある種の限界があります。その暮らしを支える知恵や人々の繋がりによって、住まいははじめて安心安全な完成品になるのだと思います。その土地で取れる素材で造る。これもいま改めて真剣に考えてみなければならない課題です。

笠井義文

2011.3.10更新
住居の理想としては、この部屋は何に使うと決めたくないんです。今日はここを書斎にして、あっちを寝室にしようとか、自在に使いたい。建物で自分が決められちゃうんじゃなくて、自分が建物をどう使うか決める暮らしのほうが好きなんですよ。
 
(小椋 佳/作詞・作曲家)

家づくりをするにあたっては、予め自分や家族の生活を想定して計画する部分と、想定外なことがあった場合に生活を柔軟に変えられる部分とを持っていたほうがいいようです。

毎日寝室が変わるというのは少し荒唐無稽なような気がしますが、あまり空間と用途とを固定してしまうのも息苦しい。それから、今後グローバル化の中で、我々のライフスタイルが劇的に変わる可能性もあります。その時のための予行演習をしておくことも必要でしょうね。

笠井義文

2011.2,25更新
これからは自由時間が増えて、家は創造性や文化を生み出す空間になるでしょう。しかし、空間を広くとれませんから、地下室を作るとか屋根裏部屋を作り、そこをホビールームにするとか、そこでゆっくり音楽を聴いたりもする。屋上で植物を育てるのもいい。お父さんたちは自分の創造性の部屋を作るべきです。
 
(芦原義信/建築家)

芦原さんの名著に「外部空間の設計」があります。それと、あまりにも有名な「街並みの美学」があります。いずれも30年以上も前の本で、建築の内部空間ばかりが論じられていた頃に、その建築がつくりだす外部の空間、景観に着目した論説に驚き、開眼させられたことを今でも思い出します。

そのような大きなスケールのものから、かたや屋根裏部屋まで。建築空間は私たちの生活とさまざまな関わりを持ちます。またそこは個性豊かなものや文化を創り出す場所にもなりえます。「お父さんたち」にも是非それに参加してほしいと思います。

笠井義文

2011.2,10更新
とにかく小さな家ですからね。空間を最大限に利用しないと。それでも家族全員の個室なんてとても作れなかった。そのかわり各自のベットが一人一人の占有空間になってましてね、それぞれ、壁のない個人の空間感覚をもってました。お互いにその上にいるときは干渉しない、というルールみたいなものができましてね、お互いに思いやるという関係ができたのも、そういう仕切られない空間の中で生活したからですね。
 
(室伏次郎/建築家)

室伏さんの自邸のお話しです。個室のかわりにベッドが個人の壁のない占有空間だったというのは面白いですね。我々の小さい頃は、各自の個室なんていうものはなく、4帖半の部屋に兄弟3人が暮らし、2段ベットが我がお城というのがあたりまえでもありました。

ルールというのはお互いが気持ちよく暮らすためにあるもの。そしてそのルールは、誰かに押しつけられるものではなく、実感として自然に出てくることが好ましい。子供達がそれを経験しながら作りだし、体得するのは、まずは我が家で、ということになるのでしょう。

笠井義文

2011.1.25更新
心地よい空間が、よいプロポーションに依拠しているのは確かなような気がする。ここでいうプロポーションとは視覚的なそれはもちろんのこと、もっと総体的なバランス感覚とでもいったほうがいいのかもしれない。
 
(永田昌民/建築家)

人が心地よいと感じるものに「安定」や「安心」があります。住宅で一番それが必要とされるのは構造。しかしあまりにそれに固執しすぎても、無味乾燥なものになってしまいます。そこで大切になるのがバランス感覚。

ある部分に偏重しすぎず、かといって平均値を求めるのでもなく、適度に変化をもちつつ、絶妙に釣り合っている。構造や意匠、予算配分など全てにおいてバランスを持った家は良い家といえます。

笠井義文

2011.1.10更新
どんな小さいうちだって、人々の共有する風景の一つになるわけでしょう。そうすれば、その軒の出なんてものも、やっぱり施主が軒の出いらんといっても、やっぱりもしその風景に必要であるのならば、建築家は、ある程度までそれを実現するという責任があるんじゃないか。
 
(吉村順三/建築家)

都会に暮らしている友人が帰省した際、よく話に出るのが自分達がかつて暮らしていた街のことです。それがどのように変わってきたか。良くなった、綺麗になった、魅力的になったという声もありますが、逆に嘆きの声も出ます。

それは、かつてあった家並みの風情や屋敷の佇まい、緑溢れていた庭がどんどんなくなり空き地や駐車場になっていることです。僕たちは家をつくることには関心や情熱をそそぎますが、それ以上に家を壊すことにも慎重に取り組まなければならないのだと思います。

笠井義文