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家づくりの名言

 
 
 
古今東西の建築家や著名人の、住まいについての金言名言をご紹介しています。短い言葉のなかに、みなさんに役立つ家づくりの神髄やヒントが、きっとあると思います。(担当:笠井義文)
 
 

|2009|2008200720062005200420032002
2009  
2009.6.25 赤瀬川原平/作家
2009.6.10 原 研哉/デザイナー
2009.5.25 高橋修一/建築家
2009.5.10 吉村順三/建築家
2009.4.25 清水国明/タレント
2009.4.10 石山修武/建築家
2009.3.25 玉村豊男/エッセイスト
2009.3.10 安藤忠雄/建築家
2009.2.25 C・Wニコル/作家

2009.2.10

石山修武/建築家
2009.1.25 藤森照信/建築史家・建築家
2009.1.10 大屋映子/ジャーナリスト

2009.6.25更新
自分たちでやってないと、どうしても警戒的な目つきだけになってしまうんですよね。でも僕らは施工に加担しているから、それがない。何か問題があってもだれかに対する不満というよりは、自分たちが予見できなかったという反省になる。
 
(赤瀬川原平/作家)

住宅相談を受けていてトラブルの事情を聞いていると、そのほとんどが任す任さないの食い違いからきていると感じます。建て主側から見ると「任せたのだから・・・」という要求があり、建設者もまた「任されたのだから・・・」という思いこみがある。

これがいったん捻れてしまうと、お互いが「警戒的な目つきだけ」になってしまう。両者に「誰かに対する不満」を「自分が予見できなかったという反省」にできるような謙虚な気持ちがあれば、おそらくトラブルはなくなるのでしょうが、それがなかなか、というのがまた現実のようで・・・。

笠井義文

2009.6.10更新
基本的な生活のディテイルに対して豊富なイマジネーションを持ち得ないクリエーターはこれからの時代をリードしていくことができないと僕は考えている。一般の生活者に影響力を持つのは聳え立つ大建築ではなく、身近にある住宅展示場だったりするわけで、こういう部分に啓蒙的に作用するイマジネーションこそ、求められる建築家の創造性なのである。
 
(原 研哉/デザイナー)

原さんは以前に建築家によるマカロニデザイン展を企画したことがあります。そのときに建築家という人たちを「洒落や酔狂を好まず、様々な問題をきちんと整理して考え、真面目から問題を解決せずにはいられない人たち。さらに料理などというものには滅法詳しく、小麦粉の組成から、調理法、レシピにもうるさく、皿や盛り合わせから、ワイン、照明、インテリア、ボーイたちの話し方にいたるまでイメージの翼をばたばたと広げてしまうような人たちのようである」と捉えられたようです。すべての建築家がそうではないでしょうが、建築家の職能、性癖?そして存在価値をよく見ておられるようですね。

笠井義文

2009.5.25更新
極端ないい方になりますが、もしイギリス人と日本人が、同じアパートの同じ間取りの部屋にすんだとしたら、暮らし方がまったく違うと思います。日本は土地の値段は高いし、建築費も高い。そういう社会的要因もあるとは思いますが、同じスペースに住んでも日本人は住み方が下手ですね。
 
(高橋修一/建築家)

日本より一足早く成熟社会になっているヨーロッパでは、「お金の財布」と「時間の財布」の二つを持っていて、それらをうまく使い分けているという話を聞いたことがあります。暮らし方の上手下手は、お金の財布の豊かさより時間の財布の豊かさがその鍵を握っているといえるでしょう。
 
モノがほぼ充足され、新製品を追いかけるのにも疲れてしまっている世の中で、今あるものの中の豊かさを見つけ出すためには、「時間」の価値を上げていくことが大切ではないでしょうか。暮らしとははまさに、自分達の時間を演出すること、時空を自分達のモノにすることですね。

笠井義文

2009.5.10更新
私は日本で一番好きな建物はお寺や大きな家ではなくて、本当は民家なのであります。その当時民家を作った人は本当に寒さからも、また嵐からも守れるために、その時に与えられた力一ぱいの材料で、力一ぱいのテクニックで、しかも特別上手な大工さんを頼んだわけではなくて、村の人達が集まってその民家を建てたのだと思います。
 
(吉村順三/建築家)

与えられた力一ぱいの材料で、力一ぱいのテクニックで、けっして特別でなく、人が集まって住まいをつくる。民家の精神は全ての家づくり、大げさにいうと「生き方」に通ずるように思います。

無いものを追い求めるより、今ある宝を最大限に活用しつつ、みんなで力を合わせるということが、より大切にされる時代になってきたように思います。まさに「足るを知る」ですね。良い時代になってきました。

笠井義文

2009.4.25更新
費用が安くなり、楽しみも増え、自分にとって何倍もの価値になることを知りました。HAVEよりもDOという訳です。チェンソーで丸太を削っているとき、筋肉のひとつひとつがプチプチと喜んでいるのが判ります。一日かかってやっと一段の丸太を組み上げたときの充実感を僕は他に例えることができません。
 
(清水国明/タレント)

日本の社会は僕たちが考えている以上に成熟期に入っているようです。成熟期というのはいわば老年期に入ったということ。若いときのように情熱や勢いだけでは進めない。しかしそれは希望がないということではありません。

家づくりをHAVEからDOへ。これは成熟期に入った社会のひとつの合い言葉になるのかもしれません。専門非専門を問わず、領域を超えて、それぞれの持ち味を出しあう。眠っている才能や資産のスイッチをONにする。それって、ワクワクすること、と思われませんか?

笠井義文

2009.4.10更新
大半が苦情の連続だ。文句は言葉になりやすいが、「アー良い空間で嬉しいな」の楽しさは言葉になりにくいからだ。そう考えて自分で自分を励ますようにしている。しかしながら、文句苦情の類が多過ぎるにしても住宅設計を介しての依頼主との付き合いは具体的で新鮮な刺激に富んでいる。教えられることも多い。時には親戚以上の付き合いになるし、一生の友になることだってある。
 
(石山修武/建築家)

設計から施工、そしてアフターケアーまで、家づくりとはまさに人と人との付き合い、人間関係の営みです。だから、そこには当然礼儀やルールがある。お互い気持ちよく尊重し合いながら、モノとしての住宅が創られていく。

そのようなことは、昔の人たちは分かっていました。いまは「人」が見えなくなってきています。誰がどうやってモノを創っているのかが分かりにくくなっている。つまり新鮮な刺激、教えられること、親戚以上の一生の友に出会えることが少なくなっているのです。

笠井義文

2009.3.25更新
家は使っていないとダメになる、とはよく言われることで、それはいうまでもなく窓や扉は開け閉めしてこそ調子が良いし、家は風を通し掃除もしなくては・・・などという物理的理由が大半であろうとは思うけれども、毎日感謝しながら使うこと自体が家に心理的?な好影響を与えているのではないか、と想像することもできなくはない。
 
(玉村豊男/エッセイスト)

「家にも心がある」などと言うと、ちょっとオカルト風に聞こえるかもしれませんが、この世に存在する全てのものが宇宙の構成要素であるということを考えると、それらが同じ法則や物質から成り立っているという仮説も、あながち奇想天外なことではないでしょう。

現代人は機械や物質を盲信しているところがありすぎるような気がします。家は物質には違いありませんが、住む人の気持ちによって生き生きもするし、死んでしまうこともあります。そういうことを考えると、家の価値とは物質的なものだけでないことは、明らかだと思うのですが。

笠井義文

2009.3.10更新
「サヴォア邸」を訪れたのは五年ぶりくらいでしたが、やはりあの住宅は特別な存在ですね。人間が入って一時の饗宴を始めた途端、機能を終えたはずの住まいが実に瑞々しい表情で生き返って見えました。何度見ても新鮮な感動がある、時間を超えた住宅建築の傑作です。
 
(安藤忠雄/建築家)

数年前に初めて「サヴォア邸」を訪れました。本や教科書などでは幾度も見ていましたが、やはり本物に近づく時には胸が高鳴りました。そして建物の中では時間を忘れて写真を撮りまくっていました。

近代建築の理論教科書のようなこの住宅は、頭だけで創られているように思っていましたが、実際に触れてみると、なんとも「人間くさい」感じがしました。20世紀を代表する大建築家も、我々と同じようなところで悩んだり、面白がったりしていることが、嬉しい発見でした。

笠井義文

2009.2.25更新
ひとつ声を大にしていいたいのは、屋根の上や門扉、バルコニー、外壁など、都会暮らしにも積極的に緑を取り入れる工夫を、ということだ。夏場、葉の一枚一枚が小さなクーラーの役割を果たしてくれる。日中は酸素をどんどん送り出してくれる上、見た目にも美しい。四角いコンクリートの箱も、周囲に緑を加えただけで見違えるように快適になる。
 
(C・Wニコル/作家)

住宅だけの敷地に木を植えただけでその建物は見違えるほど良くなる、とはよく言われること。これは、木が建物の七難隠す、という意味もありますが、人工的なものと自然のものとの組み合わせが、見ている私たちに安心感を与えるからかもしれません。

樹木は何十年もかけて二酸化炭素を固定化し、それが建物などに長く使われることによって更にその放出を防いでいます。人間たちの身勝手がまねいた地球温暖化を樹木が防いでくれているのです。そんな緑に感謝しつつ、日々の生活に取り入れる工夫を、もっとしたいものですね。

笠井義文

2009.2.10更新
茶室を作るのに榎本さんはあまり注文をつけなかった。「上手くできなかったら、もう一つ別に作りますから」と言うだけだった。この科白は設計者への殺し文句だ。若かったわたしもそれで全力を尽くした。
 
(石山修武/建築家)

「原稿(もの)書きはほめ言葉で生きている」石山さんが敬愛する故山本夏彦さんの名言です。また石山さんは山本さんを評して、「すごい人は平気で下まで降りてくる」とも言われていました。忘れられない言葉です。

殺し文句。それは人を奮い立たせる言葉。この人のためなら死ぬ気で頑張ろう。ほんとにそう思えたなら、人は幸せです。その幸せを人に与えられたなら、これも無上の幸せ。設計者はほめ殺すに限ります。

笠井義文

2009.1.25更新
赤瀬川さんが「子供の頃、自分ちには勉強部屋も階段もないのが悔しかった。でも大人になって、自分ちの居間が三丁目にあって、階段が街はずれにあって、便所が隣町にあってもいいじゃないかと思い始めた」と言ったんです。つまり、家の機能が街の中にバラバラに散らばっていて、みんなが街をザワザワ移動しながら暮らしていると面白いと。
 
(藤森照信/建築史家・建築家)

いまワークシェアなどということが話題になっています。いろんな事情があってなかなか実現しないようですが、基本的に物事を分け合うというのは大切なことだと思います。それは、限られた資源や財産のなかで、個々の持ち味や長所を生かし合うという意味においても。

住まいにもいろんな特長や持ち味があります。それを尊重するということは即ち、いろんな「個性」ができるということですが、それが一住宅を超えて共有、シェアされるとすれば、更に面白いことになるのではないでしょうか。便所が遠いというのはちょっとたいへんでしょうけど・・・。

笠井義文

2009.1.10更新
思えば私たちは、欧米に追いつき追い越せで頑張るためには、ムダを省き、少ない資源とカネを効率よく使い、高度成長にかけなくてはいけなかった。その当時は、選択はそれしかないと思っていた。しかし今、お金持ちになったけど、豊かな感じがしない。それは効率のために捨て去った「ムダ」の中に豊かさがあった、ということなのではないだろうか。私の終のすみ家はもう少しムダのある家がいいな、と思っている。
 
(大屋映子/ジャーナリスト)

アメリカ型の資本主義マネーゲームが終わりを告げようとしています。そのアメリカに追随してきたことが全て悪かったとは思いませんが、日本の良さをも失ってきたことは確かだと思います。これからはアジアの時代、21世紀は日本の世紀だとも言われています。

これからは日本人が世界にどう貢献していけるのか、何を伝えていけるのかを真剣に考えていかなければなりません。日本文化の良さは住まいの中にもたくさん残されてきています。一見「ムダ」のようなものにも合理性や豊かさが隠されています。まずはそれらを再発見するところから始めたいですね。

笠井義文