これまで“設計料”を題材にして、建築のこと、住宅のこと、設計のこと、設計者のことなど、とりとめのないお話をしてきました。とりあえずこのシリーズはこのへんでひとまず区切りをつけたいと思います。で、これまでお話してきたことのポイントをまとめておきます。
“設計料”を辞書ふうにいえば、設計に要する費用またはその業務にたいして支払われる報酬、ということになりますが、実際はそう簡単ではありません。“設計料”の対価であるところの「設計」の解釈や内容が、人や場合によって千差万別だからです。多くの人は、設計とは設計図を作成すること、と思われているかもしれませんが、それだけではありません。図面を作るためにしなければならない調査、資料収集、実験、研究、そして予算に合うように積算し検討すること、図面どおりに施工するためのチェック、変更など、これらすべての作業が「設計」と称され、それに見合う費用が一般には“設計料”と呼ばれているのです。
また、設計は俗に言うデザインだけではありません。構造が大丈夫か、設備に間違いはないか、インテリアが考えられているか、人体や環境への負荷はどうか、工事現場の事情が考慮されているかなど、きりがないほどの要素を検討し、解決しなければなりません。それから、建築主との打ち合わせ、関係官庁との協議、周辺住民や近隣者との話し合い、共同設計者との調整、建設会社との折衝、職人とのやりとり等々。それらをうまく円滑にまとめていくのも設計という行為なのです。さらに最近では、CADや3D、CGといった最新鋭のコンピュータ技術ともお付き合いしなければなりません。
でもここで言いたいのは「設計というのはこんなに大変な仕事なんだよ」ということではありません。その広範囲で多岐にわたる作業のどこからどこまでをどういうふうにするかは、設計者一人一人全部異なり、設計されるものによっても全部違ってきます。ですから当然設計料は個々に全部違うはずです。ところが世間では、“設計料”が単に建物金額の何%であるとか、それについて高い、安いとかが平気で言われている。こんなあやふやでいいかげんなことはおかしいですよね、ということなのです。
しかし、“設計料”の価格が明快でないことについては、それ相応の理由がなくはありません。ひとつは、「設計がそんなにいろんなことするなんて、ふつうの人は実際頼んでみて体験してみないと分からないですよ」ということです。そのとおり。われわれ設計者の怠慢、説明不足、情報公開なさすぎ〜です。ですからこうやって遅ればせながらご説明させてもらってます。それから、まだまだ世間一般に設計契約がきっちり行われていないということがあげられます。この理由はいろいろありますが、やはり仕事をする上で正式に契約はするべきで、これも設計者側の責任ですね。
それともうひとつの理由は、たいした設計図なんかなくたって、設計なんてしなくたって立派に家ができているじゃあないの?設計の価値って?という声があることです。おっしゃるとおり、できてます。少なくとも形のうえでは。しかしこれは設計がされてないわけではなく、どこかで誰かは必ずやっている。それが見えていないだけなんです。だからその内容はよく分からないし、適当に誤魔化されている可能性だってあります。欠陥住宅だって生まれます。ただ、設計がどうであれ、結果的に住む人にとって良いものができればいいわけですから、結局は「良い住宅って何?」ということになります。
住宅の価値には二通りあります。ひとつは物質としての絶対的な価値、つまり金額や計量できる物理的価値です。これは物とお金の相対関係で、一般に良い物を使えば高く、悪いものを使えば安くなります。が、悪くて高く、良くて安いものがあるのがこの世の常。すなわちそこには「物を見る目」が必要になってきます。そのうえ、住宅は生身の人間が現場で創るもの。だから「見えない物を見る目」も不可欠なのです。これは「創る人を見る目」と言い換えられるかもしれません。
残念ながら、住宅にミスの全くない完璧なものはありません。物質価値として完璧なものはないけれど、それに近づこうとする努力や工夫をすること。ミスをできるだけ少なくする仕組みを考えること。万一ミスで何かがあったときにも迅速適切に対応すること。日頃からそういう心構えを持っている創り手(設計者や施工者)との出会い。これが良い住宅を取得するための必須条件です。
もうひとつの住宅の価値は、住む人の「いい」という満足的価値です。「ボロは着てても心は錦〜」ではありませんが、贅沢で高価な住宅がすなわち良い住宅ではありません。安い材料でも、小さい空間でも、住む人にプライドがあり、設計がきちんとできている家は立派な品格、風格があります。住み手の豊かな感性や精神が表れている家、設計者の意図や技能が明確に出ている家は、たとえ質素でも気持ちのよいものです。
ですから、一人一人が独自に持っている家に対する満足感を大切にすること、それを諦めないことが重要です。雨露がしのげて最低限の生活というのではなく、安い高いということでもなく、住む人の心が豊かになり、みんなが満足するものであること。それは、家ができた後の生活がどれだけ幸せなものになるか、楽しいものになるかにかかっています。そのためには、恵まれた条件よりはむしろ、住まい手の固定観念に縛られない自由な発想が鍵になるのです。
「ほんとに満足する家を創りたいなら、設計者をできるだけ利用して下さい」というのが、みなさんに対する私からのアドバイスです。これは言い方を換えれば、設計者にできるだけ力をだしてもらい、最良の仕事をしてもらってください、ということ。ですから、決して提示された“設計料”をねぎったりしてはいけません。これは、相手に「手を抜いて下さい」といっているようなもの。お互いの信頼関係も成り立ちません。それよりは、設計者に「この家族のために一肌も二肌も脱ごう」と思わせた方がずっとお得です。予算も何もかも打ち明けて、忘れず「その中で何とかやりたいんですけど〜よろしくお願いします〜」と言ってしまいましょう。
そうすれば、設計者もその枠内でなんとか奮闘してくれます。ない袖は振れないというのは誰でも分かっているわけで、その予算に合うように頑張ってくれます。そのうえ、設計者というのは、設計の条件が厳しいほど、頼まれ任されるほど、直接笑顔で頼まれるほど、簡単に自分の金銭的採算を度外視し、精神的採算性を重視する、という依頼者にとってはラッキーな性格の持ち主なのです。ですからここだけの話、「設計者はノセたら勝ち」です。おおいに利用してください。
ではそのような理想の設計者とどうすれば巡り会えるのか、その判断材料は何なのでしょうか。設計者がどのような仕事をしてきたか、これはもちろん大事です。まずこれまでしてきた仕事を見せてもらいましょう。しかし、前例だけでは分からない部分もあります。やはりその「人」を見ることが大切。彼(彼女)が頼りになるのか、頑張ってくれそうなのか、真剣に仕事に取り組んでくれそうなのか、そして永く付き合えそうか等々。それを踏まえたうえで、良き設計者を選んでほしいと思います。
それと、設計者と依頼者はやはり価値観を同じくすることが肝腎です。住まいづくりについて何を大事にするのか。どこに費用をかけようと思うのか。依頼者の希望を設計者が納得し、設計者の提案に依頼者が共感することが大切です。これが初めからすれ違うと悲劇です。また、お互いに無理して合わせても後で破綻がきます。共感、尊重しながらもお互い言いたいことはきちっと言う。それぞれのするべきことはちゃんとする。ただ何もかもだと息が詰まるので、時には細かなところでは適当に許し合うことも必要です。
家づくりは本来とてもハッピーなもののはず。なのに、欠陥住宅だ、何だ、とトラブルが後を絶ちません。それは依頼する側とされる側の思惑が違っていること、価値観にずれがあること、まやかしや嘘があることに原因があります。しかし、これは被害者と加害者という関係ではなく、お互いの責任です。それを防ぐために、是非あなたにとって信頼に足る良き設計者を見つけて下さい。そして良き施工者と出会ってください。そのためには・・・どうか“設計料”を惜しまないでください。
蛇足ですが・・・。
どうしてもそのような設計者が見つからない方は、エディットデザインワークスにご相談をどうぞ。
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