最近テレビでリフォームの番組が人気のようです。
そこには有能な設計者が登場し、家族の悩みを全て解消し、家族の希望を全て満たしてくれる。そういうシナリオです。
それはそれでいいのですが、心配なのは“設計料”です。
番組中、工事費というのは必ずでてくるのですが(たいていは、できあがったものと比べて決して高すぎないような金額が提示されています)、“設計料”はどうも見あたりません。製作者の真意は分かりませんが、私流に解釈すれば、これはこれまで言ってきたような“設計料”のデリケートさのあらわれです。
例えば総工事費500万円だというと、これだけリニューアルして施主も満足するようになったのだから安いよね、という一般視聴者の了解は得やすいと思われます。しかし、このほかに“設計料”が100万円必要だというと、えっ!?となるのではないでしょうか。
また、逆に“設計料”が50万円だというと、これは絶対に設計者仲間からブーイングがでます。
これだけのことをして、そんな“設計料”でできるわけがないだろ、と。そのへんの微妙な心理を製作者(出演している設計者)が計算しているように感じられるのです。
また、下手に提示すると、設計金額だけが一人歩きする怖さもあります。物は買うものだと思い込んでいる人たちは、出来あがった物しか見てません。番組でもそれをことさらに強調しているような気がします。物に隠れた人、物をささえた手間、時間、技術、智恵、知識などが、あたかも意識的に消されているかのようです。ですから、その見えないものに対する価値判断は難しい。だからあえて提示しないのかもしれません。制作者としては、「それを描くと別番組。所詮お遊びですから」ということかも知れませんが、どれだけの視聴者がそのことを理解しているのか、いささか不安です。
話はとうとつにかわりますが、骨董品の値段は、原価+店主の勉強代+演出料+客の満足料+客の授業料、といわれています。それで、原価?10万円のものが100万円になるのだそうです。設計の値段もよく似ていると言うと誤解を招きそうですが、正直言うとそうです。“設計料”にも、実質経費に設計者の勉強代、演出料やクライアントの満足料、授業料などなどが加算されます。それを払いたくなければ自分で勉強して良い欠陥のない住宅をつくりましょう、ということになりますが、ふつうは一般の人に住宅の細かな良し悪しは分かりませんし、それを一から勉強するような時間もないでしょう。
で設計者に設計を頼むわけですが、頼むほうは、設計者に金額に見合う、いえ、それ以上の仕事をしてもらいたいと思いますよね。当然です。では、どうすればそれが叶うのか。結論からいってしまうと、頼むからには“設計料”をねぎるより、満額払って150%の仕事をしてもらったほうがいい、ということです。プロはいつでも最善の仕事をしなければならない、というのは正論です。しかし、設計者も生身の人間。“設計料”を安易に値切られたりすると、どうしてもあとあとの仕事に影響します。正直な話、「もっと安くならないの?」に対しては「値切られたんだから、このくらいでいいか」とならない保証はありません。
住宅はやはり建築主と設計者、施工者の共同製作物です。三者の間に気持ちよい人間関係がなければ良いものはできません。「この人にやってもらおう、よろしくお願いします」、「ありがとうございます、お応えできるように頑張ります」というお互いの信頼関係にその成否がかかっているのです。また、この仕事が依頼者に「やらされている」ことなのか、依頼者から「任されている」ものなのかも重要な要素です。ですので、お互いに疑心暗鬼になるようでしたら、はやめに「降りた」ほうがみんなが不幸にならなくてすみます。
一般に、個人住宅は設計者にあまり歓迎されません。工事金額のわりに(設計料のわりに)手間がかかるからです。個人住宅の打ち合わせは休日や夜が多く、家族の意見をまとめるのもたいへんです。また、さまざまな家庭の事情などで、細かな変更や訂正が頻繁に起こります。当然、何回も打合せを重ねることになり、時間がかかります。しかし、個人住宅は予算の割には夢や期待感が大きいもの。たとえ設計者が一所懸命やっても、どうしても不満やクレームは出てきます。良心的に設計しようとすると採算にあわず、気を緩めると問題が起こるという、個人住宅の設計は結構たいへんな仕事なのです。
設計者はこのたいへんな仕事に「でも、やらせてもらいたい」という気持ちで臨んでいます。なので、依頼者にその気持ちを汲み取ってもらえるか、もらえないかが大きな問題になります。つまり、設計者にとっては採算以上に精神的な収支という意味が大きいのです。ですから、ずいぶんと勝手な言い分になるかもしれませんが、“設計料”のほうも、よほどのことがない限り「分かりました。それで存分にいい仕事をしてください」と言って欲しいのです。そうして、気持ち良く仕事をさせてもらいたいわけです。
でも逆にいうと、設計者というのは、次のような気持ちを強く持つ人種でもあります。家を手に入れる方法はいくらでもある。お金を出せば、あらゆるハウスメーカーが喜んで売ってくれる。また、巷には工務店や別の設計者もたくさんいる。だから、あえて自分に設計を頼みたいと言ってくれることはとにかく嬉しい、ありがたい。それを大切にしたい。そのうえ見込まれて任されたわけだから、ひと肌もふた肌も脱ごう、という気持ちです。
この気持ちが、よい家を設計しようという原動力となり、家が建ってからも後々まで面倒を見よう、責任を持とうという牽引力になります。設計者が150%の仕事をする、というのはそういうことなのです。ただ、だからといって依頼者のほうも、「じゃあ設計料はいくらでもいいですよ」というわけにはいきませんよね。ということで、そのへんの対策!については次回に。
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